環藝録

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勝円寺の隣の米八幡

『文政三年高宮郡 国郡志御用につき下調べ書出帳』の村絵図「上中野村下中野村」は両村の境を表示しない。村別の「村内小名」は違いがあるものの重複もあるので地図にあらわすとかなり入り組んでしまう。

 

絵図上では「勝円寺」の東隣に「八マン」と「アミダ寺跡」が記されている。現在土壇上に鎮座する神社は「森の下 上が市八幡宮」。階段下の説明板に紹介されている「一寸八分ノ米」という御神体は、文政三年時点では既に存在せず、「何ツノ頃歟相知不申候」という。

勝円寺も阿弥陀寺跡も八幡宮も下中野村に属する。

臨時の立札

町めぐりの案内のために一時的に立てられた、立札型の説明板。品窮寺の中では他に手水鉢の覆屋の柱に括られていたものもあった。

 

少し北へ、勝円寺に隣接する路地に面して、船板塀を備える民家とそれを解説する立札が向かい合う。神社正面の空き地に立つその立札は、細い角材だけで立っているのではなく塩ビパイプに差し込んで支えられている。

小さな水害記念碑

可部の旧街道に近い川は根の谷川(根谷川)。街道筋とその周囲の集落は幾度も水害に見舞われた。

 

そのうちの昭和3年の洪水により品窮寺境内に4尺の浸水が及んだことが、「水害紀年碑」に残されている。小さな角柱ながら、石垣の角に立っているので草木に埋もれにくい。

それを解説する立札の方が広い。こちらの表記は「記念碑」。

水主町の可愛神社

可愛神社は割合に大きな両部鳥居が目印になる。

 

kanototori.hatenablog.jp

 

神社の由緒が手書きで掲示されていて(平成20年)、そこに綴られる再建の社殿と鳥居の新しさが町内会単位の思い入れの強さを示す。「中国地方最大の可愛川を支配している神」とは大仰に過ぎるものの、土師ダムの水を可部に流してからのことと思えば実態に即していなくもない。