環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

初神の分岐

県道174号が南へ曲がる所が「初神」。『文化度国郡志』には「ハジカミ」のフリガナがある。 左手の県道174号は途中県道34号と重複しつつ「熊野町役場」を通り過ぎる。 右手の道は同じく県道34号と合流するが比較的古い道。「熊野中学校」に行くにはこの道。

県道174号

はてなダイアリーから数えて4600日。その道路は県道174号瀬野呉線。瀬野から熊野跡を経て熊野東部を抜けて苗代から呉市中心部へ向かう。 路線バスは熊野町中心部へ向かうので途中で西へ逸れるが、この県道は初神から南へ向かう。 『熊野町史 生活誌 資料 年…

バス停名表示が下に

熊野東方の、小屋のあるバス停は「西新宮」と「東追分」などがある。 向かいから遠目に見ても地名が読めるのが、必要なサイズの目安だろうか、「追」のしんにょうの点が欠けているのが拡大すると分かる。 「西」だけが立体的に残っている「西新宮」は、地の…

熊野の待合所

県道174号は瀬野から阿戸を経て熊野に通じる道路。 熊野町では阿戸学校方面への広電の路線バスがある。阿戸から瀬野へは芸陽バスがある。 歩道が広いわけではないが、バス停のベンチは歩道の奥の敷地に空間を確保してあるところもある。 波板で作られた小屋…

新旧上屋

音戸・倉橋のバス停に設けられた白い上屋に統一感を持つのと同じように、警固屋・音戸のバス停に見る比較的新しい黒っぽい上屋にも、同じ時期に更新されたらしき統一感を受ける。 どちらにも支柱に雨樋が添えられているが、白い方では片側1箇所だけから垂れ…

バス停の屋根

市街地の狭い道路にはバス停の置かれる空間に余裕がないが、 人家の密集していない広々とした道路では、歩道の奥に表示が立てられていたりするとバスが素通りしてしまうのではと不安がよぎる。 音戸の波多見バス停や竹田浜バス停は歩道の奥にぴったりと設置…

下祇園バス停

安神社前には「上祇園バス停」があり、広島方面の次は「中祇園」、さらに次が「下祇園バス停」。JR可部線の下祇園駅に近いが、駅前すぐというほどでもない。 安佐大橋方面へのバス停はコンビニ敷地の角にあり、広島方面へのバス停は道路近くに迫る建物の壁を…

旧道という県道

国道よりも可部線に近い位置を「県道277号古市広島線」が通る。古市橋駅以南の「旧国道」。 現在も路線バスが通るが道幅は狭く、センターラインが無い。所により広くなったり狭くなったり。 もと安神社境内の「安神社前交差点交通信号機」の表示には、「広島…

片側二車線

祇園・西原地域の国道183号は旧国道54号で、54号は西の祇園新道だけを指す。 183号には多くの路線バスが通るため、広島市中心部(広島駅・八丁堀・バスセンター)へ向かう路線が各方面から集まって鈴なりになりがち。 ドン・キホーテ付近に数年前施された「…

旧国道と産業道路

その修理工場のあった場所は、国道に通じる「産業道路」に面していた。 東に可部線、旧国道、旧国道54号が南北に並行する中を東西に横切る産業道路。現イオンモールが三菱の工場だった頃の道路の役割を表す。 国道沿いのドンキホーテ(昔デオデオだった建物…

十年前の更地

同じく十年前に見かけた祇園6丁目の更地。この場合は、この先風景が一変することを見越しての撮り方。 何の跡地かというと、広島電鉄の自動車修理工場。 現在はコーナンの敷地。 建物が無い時期だから、遠く阿武山方面がよく見える。すぐ近くの工場に大きな…

十数年前の大町

下祇園、古市橋ときて次が大町駅。バスターミナルがあるので安佐南の中心地の観。 十年前に見た「大町案内図」は、大町全体ではなく大町駅と古市橋駅を中心として南北を横にした街区案内図。 祇園・山本方面に整備される道路はまだ大町西一丁目までで途切れ…

大学から近場の駅へ

広島市内中心部へ向かう路線よりも、大学に近いJR駅とを行き来する路線の方が頻度が高い。 もっとも近いのは下祗園駅。北の方へは、バスターミナルのある大町駅。そこと結ぶ路線がある。 のは、昔も今も変わらない。 kanototori.hatenablog.jp 交通アクセス…

イオンモールのとなりのバス停

サティ、じゃなくてイオンモール広島祇園の西辺の道路を、広島経済大学行きの路線バスが運行している。駐車場南西近くには「祇園中学校入口」、北西角には「祇園5丁目」のバス停がある。 前者はイオンモール行きの路線も通るので本数がそこそこあるが、後者…

登山口とその反対側

経済大学正門に至る道は、祇園5丁目交差点か祇園中学校入口交差点のどちらからか登ればたどり着く。イオンモールの北西か西かどちらかの角。 正門に着く直前分かれ道で西へ進むと武田山登山口。中国自然歩道のルートとしては、新羅神社へは0.3kmの距離に当た…

図書館を見上げる祠

経済大学敷地の外、正門よりも東の斜面の下は祇園5丁目。 新羅神社よりも奥の谷にひっそりとあったと思しき、幸神社の小祠。 旧村名でいえば北下安村の境のあたりか。

山の方の大学

熊岡神社から北西のあたりへ、武田山を見上げる。 霧がかかっていると上の方は見えず、経済大学の宏壮な敷地の方が目立つ。

神社を結ぶ自然歩道

武田山山麓には安芸武田氏に関わる諸寺社が点在する。 山に登る道を最短距離で自然歩道にするよりは、神社と神社を結ぶ曲線にした方が区切りをつけて歩きやすい。熊岡神社から日吉神社まて0.8km、新羅神社まで0.4km。

もみじのある自然歩道

この神社は市街地の中だけど中国自然歩道の経由地の一つ。背後の山は銀山城跡。 中国自然歩道の要素としての説明板は巨大。神社の由来だけの説明文ではなく、「境内のもみじは紅葉の時期は、見事である」と見所を紹介している。読点の「、」がことさらな強調…

木のそばの看板

同様の書体の看板が境内奥にもあり、こちらはけいの注意事項を箇条書きしてある。 樹木を大切にするよう書いてあるので、看板も樹木に直接打ち付けるようなことはなく、社前同様に鉄骨の脚二本で自立していた。

鉄板とその裏

「諸祭事」が箇条書きされた看板は鉄板と鉄骨のシンプルな作り。 昭和っぽいというイメージがあったが、裏面の「昭和六十年十二月吉日」の奉納日にだいたい合ってるがほとんど平成だった。この看板が立っていた年数は平成の方が長い。

水路を跨いでた頃

祇園の熊岡神社はイオンモールの北、経済大学興動館のお隣に位置する。 周辺の街区の激変によって神社そのものの雰囲気も、市街地の神社に変貌した。 こちらの写真は十年以上前で、現在目の前を横切る道路は倍の幅に広がり、道路と神社の間の水路は暗渠にな…

門前の横にスペース

同じく鞆の寺で妙蓮寺。 門の脇に塀が連なるなら、門外の石碑や掲示板を立てるスペースになる。 追加の看板や掲示物の場所にも余裕があり、駐車場に止めるようにという案内が掲示板の下に置かれる。 車を止められてしまいそうな場所ができてしまうということ…

立てかける柱いくつか

鞆にある寺院をめぐる「鞆の浦古寺めぐり」の寺は19ヶ所あり、萬年山小松寺は大観寺と静観寺の間の順路。 寺号の「小松禪寺」の碑には小さめの古寺めぐりの看板がくくられ、「妙心寺派」の碑には「有髪薬師地蔵尊」の縦長の看板が前に立つ。 さらに手前には…

灯篭と同列の木

風化が進んだ石灯籠は危険なため、「危険 さわらないでください」という注意書きがぶら下がる。 そういう掲示が定着しているからだろうか、隣の樹木にも注意書きがぶら下がり、「禁煙 何でそこに捨てるの?」と、より積極的に呼びかける。

見える面と見えなさそうな面

階段の麓の欄干の親柱では、下側の面と内側の面が参道を行く人の視界に入るので、年月日や寄進者を刻むならその面がいいのだろうけれど、 その柱を使って別の器材を取り付けようとすると、刻まれた寄付者名が見えなくなる。「中」と末尾にあるので何かの団体…

沼名前の南側階段

鞆の沼名前神社参道にも文久の紀年の階段欄干がある。 こちらは文久三年、同年の石灯籠もある。 kanototori.hatenablog.jp 先ほどの天満宮の「文久」と異なり、字と字の間隔は広く散らばったような配置。 階段の幅が広いからか、左右ともに紀年を刻んでいる。

文久の島屋

表参道の階段麓にも同じような手すりと親柱がある。 こちらは文久2年の奉納で向かって右には「島屋長右エ門」の名がある。 屋号の印の山と、「文」と「久」が、左右への払いを整えている。

脇の参道の手すり

天満宮の表の階段は西へ曲がりながら南北に通じる。 駅に近い脇の参道は、随身門の奥で別れる道。 その階段の脇の斜面は、崩壊防止の工事ではなく石垣によって固められている。 石造りの手すりと、さらに出されたステンレスの手すりが世代の積み重なりを表す…

昭和50年の擁壁

天満宮表参道の階段は急斜面をのぼるため曲折がある。 「篠尾山崩壊防止工事」により擁壁に斜面が擁壁に覆われたのが昭和50年。西側の駅近くの斜面が先に施工されている。 参道の石段とその縁に連なる玉垣は、擁壁のないころからあった石造物となる。周りは…