同じく文政2年の『国郡志御用につき下調べ書出帳』には、宝永3年*1の氏子12ヶ村による再建棟札に「惣社八幡宮」とあると記す。他の時期の棟札もあったのだろうけれど、可部地域の総鎮守としてそう呼ばれていたという実例として挙げられている。 参道階段途中…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。