環藝録

はてなダイアリー『看藝累記』をインポート

文字

往復か片道か

宮島口と宮島桟橋を結ぶフェリーの券売機。JRではない方の。 地元の人はほぼパスピーやICOCAで済ませるだろうから馴染みがないが、初めての利用の人が多い観光地でどういう券売機が分かりやすいか。多言語表示はもはや基本として。 上下半分に色分けしてある…

しんぼくの木の根元

そんな大浦崎は「現在では平和な公園 町民いこいの場所となっている」と綴られるように、体育館とそれを取り巻く公園と海浜からなる。石碑の背後が高校のカヌー部の艇庫というのも良い背景を成す。 「しんぼくの木」という記念樹は基地跡の石碑より古く、昭…

漁協の白い立て札

その砂浜には、「かき筏焼却場所」という立て札がある。 うっすら見えるのは見出しの「遵守事項」と末尾の「音戸漁業協同組合」くらいで、塗り重ねられて強調された「処理する」が何を指しているのかよくわからない。実際に焼却に利用する人には常識の範疇な…

広瀬町バス停(現)

現在の広瀬町バス停にポイ捨て禁止看板は無く、多言語表記に更新されている。 簡体字と繁体字が並ぶので「広」も「瀬」もそれぞれ字体が異なり、「町」もフォントの違いによりやや間隔が違う。 ふりがなは無いが、ローマ字表記により「まち」と「ちょう」で…

広瀬町バス停

広電の横川線が通る寺町通りにある「広瀬町」バス停。「瀬」の右側は「頁」でなく旧字体。 商店やビルの並ぶ通りで、そこそこの幅の歩道とはいえ、バスを待つスペースが十分あるとも言えない。市内中心部から安佐北安佐南方面に帰る人が並ぶ夕方なら、ガムや…

「公」つきの道しるべ

最近の公的機関の作る案内図では「毛利公墓所」という表記は見かけないので、「公」を用いる例は私的な物か古い物か。 横長の看板に、「毛利元就公墓所参道入口は 約400m先です」という道しるべ。横書きにフィットした丸文字。 清神社の中を通ったり経由地を…

日比野正治の書

それとほぼ同じ語句を用いているのが呉市の安浦八幡神社。字のサイズに対して石柱の幅が広い。 一文字だけ「王」が「皇」になっているのは、こちらの注連柱建立が「皇紀二千六百年記念」だからだろうか。 揮毫は当時の陸軍中将呉鎮守府長官の日比野正治。

山田春三の書

石造物の説明板には「又柱」と書かれている標柱(注連柱)は明治39年の建立。 語句は「邦家之経緯」「王化之鴻基」で古事記に拠る。背面の書が止め払いを強調するのに対して正面の語句は滑らかに次の字画につながる。

明治の玉垣の台座

新しい石柱も古い石柱も入り混じる玉垣で、この屋号は明治のものだろうか、戦後の新しい企業名か人名が、よく分からなくなる。 脇の入り口に近い台座の石には世話係の名と明治三十三年の建立年が刻まれている。

昭和42年遷座

大竹胡子神社が現在地に遷座したのは昭和42年。それ以前の紀年の石造物は設置当時の配置ではないことになる。 遷座の年に建立された注連柱は「衆供之進路」「開運之標準」の語句。いかにもご胡子らしいご利益の強調で虚勢がないともいえる。書体は習字のお手…

村長と兵事主任書記

その明治40年の注連柱は、奉納者の名が背面にずらりと並び、側面には発起人名が並ぶ。 肩書きのある三名が上に載る。「戦役當時村長」が二名、「兵事主任書記」が一名。

石橋に明治と昭和

その鳥居のすぐ先にある石橋は「豊年橋」。親柱の一つには「ほうねんは」と見える。「し」は埋もれている。 内側には「昭和十三年」とあるが、外側には「明治四十三年」と見える。向かいの親柱の内側には、何とかの記念の為と刻んである。明治だと大韓帝国で…

大正の注連柱

その看板の立て掛けてある注連柱には、「皇威」と「四海」が見えるので、間に隠れている一文字は多分「洽」か。正解は『広島縣の標柱』に載っているとして。 向かいには「神徳輝天地」とある。この注連柱は大正11年の建立。背面に刻まれた紀年銘は強く連綿す…

祓に点あり

その、茅の輪くぐりの看板には「抜」の字が繰り返し現れ、どれも右上に「丶」がついている。 同月30日の「大祓」に「丶」があるからやや自然に見える。

平成七年と八年

木の正面には「江波山のヤマザクラ」という天然記念物としての名称が角柱になっており、その傍らにはその特徴の説明板がある。 図のある上部の説明板は平成7年のもので、擬木の枠の下にある小さい板には、平成8年に天然記念物に指定されたことを記してある。

樹種を上に

記念樹の森。 しっかりと土台を固めてある説明板と、おそらくそれより古いタイプの平たい説明板とが併存している。その説明板は上半分が青緑色の地に樹種が表示されていて、下の大学名よりも目立つ。 同じタイプでも時期の違いもあるようで、カナダの大学の…

浮き出る旧表示

二輪車レーンは上り下りを分ける線は無く、左側通行で対面通行する。出入り口の路上に「自転車・二輪車」の表示が方向別に塗られている。字の幅が車線の幅目一杯にある。 緑の歩行者レーンにも、うっすら「自転車」の表示の跡が見える。歩行者レーンが分かれ…

昭和29年の礎石板

京橋会館建物の角に「定礎」の石が設置されていた。 昭和二十九年十一月竣工 廣島縣住宅公社 施工 増岡組 平成23年解体なので半世紀以上になる。 増岡組のサイトの「沿革」を見ると、この年「第2鉄鋼ビル完成」とある。画像のキャプションにはもっぱら「鉄」…

奥に通す札

三滝寺の六角堂は散策途中の休憩所。 入口右手に木の札が立て掛けてあり、「六角堂 静観所 ご自由にどうぞ」と迎える。 同じ場所に10年前に触れて*1以来、新しい時期の写真を持っていない*2。 *1:http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20080710/1215697308 *2:…

立ち入る前に

園内の説明板は高すぎず低すぎず。眺めを遮らずに目線に近い高さに設置される。 立入禁止や土足禁止など、先に進ませない必要のある場所では高さのある立て札では足止めしにくい。足元に表示を置き大きめな字で気づかせる、あるいは柵などで物理的に遮る。

裏は略歴

その歌碑はいくつも石碑の並ぶ区域の中にあり、背後は玉垣のそば。傍らの杭に「裏側 今川貞世略歴」と案内があることによってようやく裏を見てみようかという気になるような立地。 略歴は横書きに刻まれていて、生年を西暦だけで示してあったり*1、「静岡県…

見えない碑文

大野浦駅の今川了俊歌碑*1のように、仮名遣いがあやしげな歌碑もあるので、石碑に刻まれた古文はあくまで石碑建立当時の演出手法を伝えるものとして扱うこととなる。 同じく大野町内の石碑に明治半ばの記念碑としての歌碑がある。 隣の説明板の字に従うと、 …

万葉の里

「万葉の里」を冠しての観光振興をすすめた倉橋町(現呉市)は、万葉集の「長門島」が当地に比定されることを根拠とする。その考証は香川南濱らによる*1 万葉集中の当該の歌を石碑にあるいは説明板に載せて古代の雰囲気を盛り立てる。いかんせん確実な古代の遺…

現代の「厳嶋」

「厳島」にしても「宮島」にしても、現在の通常の表記に「嶋」は使われず、四角に収まる頭の大きい書体の「島」が一般的。*1 そんな中、現代の石材加工による石灯籠に「嚴嶋」の表記が見られる。島内の「北之町浜納税組合」による「日掛百参拾周年記念」の奉…

山が左上にある

髢之碑*1の中の字体でも見たように、「廣島」もあれば「廣嶋」もある。どちらかしか正しくないという窮屈なご時世でなければ、「嶋」でも「島」でもどちらでもいい。 前後の字とどうつなげるか、どこに余白をとってどういう配置で書くかで選べばいいか。 宮…

島の山が突き出る

山を協調するつもりがなくても、「島」の字を崩すと上半分が小さくなり山部分がくっきり残る。左へ又は下へと突き出る形。 千畳閣にある大鳥居扁額の「島」や、大聖院境内の鋳物水盤に見られる「廣島市」など。「林鋳造所」の手前にある「島」は次の行に重な…

島の山が大きい

同じく安芸国内からの御島巡り参加者に「本州豐田郡生口鹽濱中」がいて、嘉永5年壬子の額「神島巡賽」を奉納している。 厳島の神紋を右上に据え、大きく「神島巡賽」と書かれている。とくに「島」の下にある「山」が隆々とそびえている。隣の「巡」は上の方…

与一の絵馬

同じく享保二十年奉納の絵馬に「扇を射る那須与一の図」がある。「享保龍集乙卯三月穀旦」*1に「廣島京橋町」の島廻講中による奉納で七名の屋号と名前が書かれている。 原田佳子『厳島平成絵馬鑑』(2003)の29ページに図版が、97ページに解説が載っている。…

伊勢社2ヶ所

お伊勢さんの勧請された所では単に「伊勢社」または「伊勢神社」と表記される。 安佐南区八木で国道54号脇の丘の上に立つ「伊勢社」は近年境内が整備されて見晴らしがいい。 あき亀山駅を見下ろす安佐北区亀山南の「伊勢社」は近年「長井ふたたびの宮」の名…

浜の明神社の扁額

可部駅近くの明神社は舟入堀前に厳島神社を勧請した社。 石鳥居の扁額には単に「大明神」とある。神紋や立地で、または安芸という地域柄、「厳島」を略して単に「大明神」で十分に通用したものと見えるし、それ以外の「大明神」を想定しにくい。 先ほどの「…