環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

文字

上原橋を向く仏像

稲荷や観音への道の途中は寺山墓苑。そこから山頂への分かれ道もあるので、麓からも目立つ立像は分岐の目印のよう。 建立年は新しく、台座背面に平成19年10月吉日の刻字がある。勝圓寺の「圓」の中の「員」上部は「ム」の形をとる。

頭上に奉納者

聖山稲生神社の鳥居のように、並び立つ鳥居の脚に奉納者の芳名と年月日が記されることが多い。 kanototori.hatenablog.jp 可部の寺山中腹に祀られている藤ノ棚稲荷にも複数の鳥居が連なるが、各奉納者の名前(地元商店の名が並ぶ)は額束の部分に取り付けられ…

連なる鳥居

稲荷の参道にいくつも並ぶ鳥居。 一つ一つの鳥居に「正一位伏見稲荷大明神」「正一位高寅稲荷大明神」の神名が取り付けてあるのが、丸子山不動院境内の稲荷。 同じく江波の聖山稲生神社では、密集する十数基の鳥居の最前に社号の札が見える。金属か樹脂製か。

稲荷の額

稲荷神社の朱の鳥居や拝殿に掛かる額はだいたい赤くない。 額の地の色が木の肌のままか黒かったりすると書かれている字はぼんやりしてくる。 廿日市の福左売神社境内の稲荷「藤稲荷大明神」は一基の鳥居のすぐ先に赤い拝殿。 竹原市の道の駅隣の「正一位玉福…

赤地の額

孝養門の奥には、平等院鳳凰堂を模した本堂があらわれる。 建物と同じく、額の地も朱に明るい。金字で「潮聲」の二字は大谷光照の揮毫。昭和23年に巡視に訪れている。同年に行われた入仏式には連枝大谷照乗を導師としている。

耕三寺中門

瀬戸田の耕三寺は入口に山門(冥加の門)が立ち、すぐ先には法隆寺楼門を模した中門が控える。山門には扉に、中門には幕に寺紋(折敷に中陰蔦)が見える。 門の表には山号「潮聲山」、裏には寺号「耕三寺」の額がある。 kanototori.hatenablog.jp

扁額の十一文字

その大鳥居の扁額は銅製で、青と白が混ざった地色に「日本総鎮守 大山積大明神」の字が浮き上がる。 同様の字の扁額は参道途中の総門にも掲げられていて、こちらは色鮮やか。 早稲田大学図書館所蔵の資料に「大山祇神社扁額」の拓本がある。「荻野三七彦旧蔵…

鳥居の脚

所変わって大三島の大山祇神社。大きな石の鳥居に刻まれた紀年は寛文9年。 脚の繋ぎ目の部分に干支の二字が重なっていて、「己酉」の字の下半分がわずかに見える。

米の字の磨耗

聰敏神社と同じく、福山八幡境内奥に鎮座する松尾神社。 階段下に立つ石灯籠は安永7年の奉納。 その古さは正面に大きく刻まれた「米中買」の字のおぼろげな輪郭に現れる。

台石の低さ

福山八幡境内の聡敏神社石灯篭は「下魚屋町中買中」による奉納。今の今町と笠岡町のあたりに魚問屋があった。 二段ある台座のうち、上段の石は上三分の一ほどが飾りのため字が刻めない。「下魚屋町」の四文字がちょうどおさまる高さの側面のため、屋号を持つ…

寄附者銘板

その鷲の像は猿猴川を背に翼を広げている。 足元には「モニュメント(記念碑)の由来」と寄付者名を連ねたプレートが据えられている。寄附者名の順序はところどころ五十音順なので、金額ごとの区切りがあるのだろうか。末尾には「金三萬円以上」と書いてある…

黒字の周りの白地

平成11年設置のその白い角柱は、そこにあった城跡の形状や伝承の説明文がある。 角柱全体の白はしっかり残っているが、文字の輪郭に近い部分は色が剥がれ落ちている。文字が剥がれて読めなくなっているわけではないので役目は果たせている。

左に歩行者

その地下道の改良は地面の表示にもある。 スロープによる出入り口では自転車に乗った人がそのままの速さで通り過ぎていくことがあるので、十字路ではとても危ない。 前項の画像のように「自転車はとまりましょう」という表示では効果が薄いようで、地面に「…

往復か片道か

宮島口と宮島桟橋を結ぶフェリーの券売機。JRではない方の。 地元の人はほぼパスピーやICOCAで済ませるだろうから馴染みがないが、初めての利用の人が多い観光地でどういう券売機が分かりやすいか。多言語表示はもはや基本として。 上下半分に色分けしてある…

しんぼくの木の根元

そんな大浦崎は「現在では平和な公園 町民いこいの場所となっている」と綴られるように、体育館とそれを取り巻く公園と海浜からなる。石碑の背後が高校のカヌー部の艇庫というのも良い背景を成す。 「しんぼくの木」という記念樹は基地跡の石碑より古く、昭…

漁協の白い立て札

その砂浜には、「かき筏焼却場所」という立て札がある。 うっすら見えるのは見出しの「遵守事項」と末尾の「音戸漁業協同組合」くらいで、塗り重ねられて強調された「処理する」が何を指しているのかよくわからない。実際に焼却に利用する人には常識の範疇な…

広瀬町バス停(現)

現在の広瀬町バス停にポイ捨て禁止看板は無く、多言語表記に更新されている。 簡体字と繁体字が並ぶので「広」も「瀬」もそれぞれ字体が異なり、「町」もフォントの違いによりやや間隔が違う。 ふりがなは無いが、ローマ字表記により「まち」と「ちょう」で…

広瀬町バス停

広電の横川線が通る寺町通りにある「広瀬町」バス停。「瀬」の右側は「頁」でなく旧字体。 商店やビルの並ぶ通りで、そこそこの幅の歩道とはいえ、バスを待つスペースが十分あるとも言えない。市内中心部から安佐北安佐南方面に帰る人が並ぶ夕方なら、ガムや…

「公」つきの道しるべ

最近の公的機関の作る案内図では「毛利公墓所」という表記は見かけないので、「公」を用いる例は私的な物か古い物か。 横長の看板に、「毛利元就公墓所参道入口は 約400m先です」という道しるべ。横書きにフィットした丸文字。 清神社の中を通ったり経由地を…

日比野正治の書

それとほぼ同じ語句を用いているのが呉市の安浦八幡神社。字のサイズに対して石柱の幅が広い。 一文字だけ「王」が「皇」になっているのは、こちらの注連柱建立が「皇紀二千六百年記念」だからだろうか。 揮毫は当時の陸軍中将呉鎮守府長官の日比野正治。

山田春三の書

石造物の説明板には「又柱」と書かれている標柱(注連柱)は明治39年の建立。 語句は「邦家之経緯」「王化之鴻基」で古事記に拠る。背面の書が止め払いを強調するのに対して正面の語句は滑らかに次の字画につながる。

明治の玉垣の台座

新しい石柱も古い石柱も入り混じる玉垣で、この屋号は明治のものだろうか、戦後の新しい企業名か人名が、よく分からなくなる。 脇の入り口に近い台座の石には世話係の名と明治三十三年の建立年が刻まれている。

昭和42年遷座

大竹胡子神社が現在地に遷座したのは昭和42年。それ以前の紀年の石造物は設置当時の配置ではないことになる。 遷座の年に建立された注連柱は「衆供之進路」「開運之標準」の語句。いかにもご胡子らしいご利益の強調で虚勢がないともいえる。書体は習字のお手…

村長と兵事主任書記

その明治40年の注連柱は、奉納者の名が背面にずらりと並び、側面には発起人名が並ぶ。 肩書きのある三名が上に載る。「戦役當時村長」が二名、「兵事主任書記」が一名。

石橋に明治と昭和

その鳥居のすぐ先にある石橋は「豊年橋」。親柱の一つには「ほうねんは」と見える。「し」は埋もれている。 内側には「昭和十三年」とあるが、外側には「明治四十三年」と見える。向かいの親柱の内側には、何とかの記念の為と刻んである。明治だと大韓帝国で…

大正の注連柱

その看板の立て掛けてある注連柱には、「皇威」と「四海」が見えるので、間に隠れている一文字は多分「洽」か。正解は『広島縣の標柱』に載っているとして。 向かいには「神徳輝天地」とある。この注連柱は大正11年の建立。背面に刻まれた紀年銘は強く連綿す…

祓に点あり

その、茅の輪くぐりの看板には「抜」の字が繰り返し現れ、どれも右上に「丶」がついている。 同月30日の「大祓」に「丶」があるからやや自然に見える。

平成七年と八年

木の正面には「江波山のヤマザクラ」という天然記念物としての名称が角柱になっており、その傍らにはその特徴の説明板がある。 図のある上部の説明板は平成7年のもので、擬木の枠の下にある小さい板には、平成8年に天然記念物に指定されたことを記してある。

樹種を上に

記念樹の森。 しっかりと土台を固めてある説明板と、おそらくそれより古いタイプの平たい説明板とが併存している。その説明板は上半分が青緑色の地に樹種が表示されていて、下の大学名よりも目立つ。 同じタイプでも時期の違いもあるようで、カナダの大学の…

浮き出る旧表示

二輪車レーンは上り下りを分ける線は無く、左側通行で対面通行する。出入り口の路上に「自転車・二輪車」の表示が方向別に塗られている。字の幅が車線の幅目一杯にある。 緑の歩行者レーンにも、うっすら「自転車」の表示の跡が見える。歩行者レーンが分かれ…