環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

県道174号

はてなダイアリーから数えて4600日。その道路は県道174号瀬野呉線。瀬野から熊野跡を経て熊野東部を抜けて苗代から呉市中心部へ向かう。 路線バスは熊野町中心部へ向かうので途中で西へ逸れるが、この県道は初神から南へ向かう。 『熊野町史 生活誌 資料 年…

御手洗川の鳥

その辺り、あまり水量の多くない御手洗川の真ん中で、コガモが塩ビパイプに掴まっている。 そこからちょっと下流へ、バイパス高架の近くの水管橋に佇むは青鷺。 前項と同じく下調べ書出帳の「鳥之類」には、31種の鳥が載っている。そのうち、カモの類は「鴈…

砂原の御手洗川

県道が御手洗川を跨ぐのが「宮内橋」で、その上流側には「砂原大橋」が架かる。「大橋」というほど幅広ではないが、車が余裕で通れるくらいの意味の「大橋」か。 文政2年の宮内村の『下調べ書出帳』にて、過去の大洪水によって川筋が不安定になってしまい、…

勝円寺の隣の米八幡

『文政三年高宮郡 国郡志御用につき下調べ書出帳』の村絵図「上中野村下中野村」は両村の境を表示しない。村別の「村内小名」は違いがあるものの重複もあるので地図にあらわすとかなり入り組んでしまう。 絵図上では「勝円寺」の東隣に「八マン」と「アミダ…

手水鉢とその周り

平成20年に設置された「熊谷の手水鉢」の記念碑は稲荷鳥居の南脇に立ち、そのすぐ奥に苔むした手水鉢が鎮まっている。苔とシダと藪に包まれた凹凸の著しい石の塊。 前世紀に『ファミリー可部』で連載された「かべの町かど」に載る「寺山」の項の稲荷社の写真…

生家附近の川岸

被爆樹木リスト共通の説明板はこじんまりとしていて、その隣にある「原民喜ゆかりの被爆柳」の説明板の方が大きくて目立つ。 この柳が、というよりもこの土地が原民喜と深く関わる土地あったということで「ゆかりの」被爆樹木となる。「かつて彼の持ち家があ…

西条盆地東半分

憩いの森の中に進んで、見晴らしのいい展望台から麓を望むとその方角は南にひらけている。 見晴らしがいいとは言ってもここは山懐。右手前方には龍王山から連なる山塊に囲まれている。 【中古】広島県百名山 /葦書房(福岡)/中島篤巳 (単行本)ジャンル: 本…

坂町の海水浴場

坂町のサイト内の町の沿革は、年に数項目ずつ、事細かに記載されている。では古代から最近までだらだら連なっているかというと、町政施行以前と以後というページの分け方ですっきりしている。 坂町の沿革(町制施行から)|坂町の沿革|町政情報|広島県 坂…

玖村

玖村駅が設置された大正5年は、所在地の村名は「落合村」で、大字が「玖」。 「く」だけでは落ち着かないのか「くむら」として現在も住居表示以外で使われる。 村名の由来について、玖村の『国郡志御用につき下調べ書出帳』は「久村玄蕃」が城主であったとい…

昭和橋のあった道

現在の県道272号は「新昭和橋」で八幡川を渡る。 府中大川の土手上を県道が通っていた頃は「昭和橋」が八幡川河口にあった。さきの参拝記で、参詣道の石碑を過ぎた後で通った所。 此橋こそ前に述べた河川大改造の際、八幡川の水路を埋め立てたる爲、之が水を…

榎川の名

『藝州府中荘誌』の「第一章 地誌 六、河川」には五つの河川名が項目となっている。一括りにすると府中大川とその支流にあたるが、御衣尾川と山田川が合流して以降を「榎川」と呼ぶので、府中大川に合流する川は二本。 榎川についての説明は語源の考察と堤防…

土手の上の掲揚台

榎川土手の北は府中小学校が隣接する。 校門から土手に上がる大階段の頂上真ん中に国旗掲揚台が設けられている。地元企業による建設で昭和42年10月竣工。 沿革:府中町立府中小学校 同校の沿革にはとくに載っていない。同年同月の出来事に「給食教育全国表彰…

昔の文化橋

菅原守編『藝州府中荘誌』に載る「縣社多家神社参拝記」は昭和5年の多家神社境内の様子*1だけでなく、広島駅からの乗合自動車の車中から見える様子も記されている。 榎川に架かる文化橋は多家神社の川下に位置するので、榎川沿いの県道の左手に見えることに…

高宮踏切

「大和高宮グラウンド」の「高宮」は同地にあった「高宮中学校」の名残。 創設時代の思い出-広島文教女子大学 文教女子大の前身が一時期高宮中学校に間借りしていたことから、武田学千先生の「創設時代の思い出」で触れられている。 付近の踏切「高宮中学校…

航路から見た両岸

小用〜宇品や呉〜宇品の高速船やフェリーは江田島を西に、呉市を東に見る広島湾内を通る。 小用では港近くの造船所の設備が目立ち、呉市の天応や小屋浦は工場建屋やポートピアの公園などの海岸の施設のほか、背後の険しい山の肌が目立つ。 阿川弘之のエッセ…

八幡宮の鐘

友広神社の鐘は昭和の物で、文政二年の『国郡志御用につき下調べ書出帳』にもそういった施設は載っていない。 同書内の記述から、旧可部町域の神社で「鐘撞堂」「鐘楼」*1を持っている所は四か所確認できる。いずれも八幡宮で、勝木村・南原村・下町屋村・上…

墓所の鳥居

同じく、『岩国金石文集』収録の鳥居銘に「高秀祠鎮昭祠鳥居銘」がある。吉香神社に統合されるまで治功大明神とは別に祀られていた「高秀祠」「鎮昭祠」の鳥居だったもの。 「この鳥居はいま横山の吉川家墓地、門内西南隅の地にある」(27頁)と現在地の説明も…

光大明神から治功神社へ

「しばしば」と、芸藩通志も触れるくらい「治功神社」に落ち着くまで社号が繰り返し改められた。(吉田家に改称を伺う形) 『大朝町史 上巻』*1が紹介する社号の変遷に関する資料は、上田稲吉『概説新庄史私考』の載せる典拠不記載の「治功大明神」という記事…

坂村の獣

写真はたぶん猫の足跡。 坂村の「物産」の部の獣之類には16種類ある。 鹿 猪 狼 兎 狐 狸 マミ 猿 貂 鼬 獺 猫 鼠 犬 土龍 スズカネ と並ぶ中の末尾「スズカネ」に注記がある。 俗唱ニ存不申候是モ土中ニ居申シ候土龍ニ似又ハ雛ニモ似寄リ申候 他の注記にあ…

寺山の案内図

坂の東部の寺山地区の中央部にある「寺山口」バス停にその案内図はあり、細部を読むには上下に大きすぎる気がするものの、意外と傷みは少なかった。 地区の動物のイラストの上にはミツマタなどの植物も載っている。 「書出帳」物産の末尾には「売買ニ相成候…

ホタルの里

「坂村」は同じく高田郡でも水系の異なる三篠川流域の上流で、豊田郡と三次郡(文政期当時)と隣接する。 そこの「書出帳」はどの部門も記述が詳細で、物産も名前だけでなく注記がたくさんある。 「魚龞之部」には「山椒魚」に「所俗はんざきと申候」と添え…

村の獣

そういった「鳥の類」の前後には「獣の類」が載っている。 入江村近辺に絞ると、 中馬村と長屋村と佐々井村では筆頭に「鹿」が書かれる。なぜか桂村では鹿が無く、載っているのは「兎 狐 狸 猫 犬 いたち 川うそ 鼠」。

奥海田の植物

瀬野川堤防の石原公園に平成17年3月に植樹されたシダレザクラ。一本植えられるときはソメイヨシノ以外が選ばれると思ってよいだろうか。 「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」で「物産」を報告する際の雛形は次の通り。 一 物産 何によらす其土地に生る物書出し可…

本地村の石室

『猿の国郡志』での項目名は「石室」と書いて「イハヤ」のフリガナ。石見の「志都か岩屋」などを傍証に挙げているところを見ると、この施設(実際は横穴式石室)のあるべき呼称として「イハヤ」を選択したのであって、「里俗」で一般的に使われていたとされ…

本地村の視点

横穴式石室の開口状態を指しての呼び名に、おおよその地域差があることが「国郡志御用に付下調べ書出帳」の記載から見えてくる。先行した安芸郡は「窟」「籠り塚」「火の釜」「山伏塚」など多様で、賀茂郡は「火の釜」に統一、豊田郡は著名な「親王石棺」を…

中馬の古墳群

中馬村は、上入江と同じく現安芸高田市吉田町内に位置する*1。書出帳には「八ツ塚」が記録されている。 八ツ塚と申候而凡村の中程に腰林山之内塚御座候 いつ頃いか様の訳にて出来致し候哉相しれ不申候尤八ツは無御座塚形ち御座候分も当時は崩し居申候 只今弐…

井原の記述

現在は安佐北区白木町の井原は、吉田町の入江とは荒谷山一つ挟んで南に位置する。もとは同じ高田郡なのでいちおう「近村」。 井原村の書出帳には「塚」が村内各地にたくさんあるとして列挙されている。 一、塚弐拾壱ヶ所光泉寺上 壱ヶ所 奥行九尺 はば五尺 …

高田郡の石窟

現「貞丸古墳」は『芸備国郡志』に「西條石棺」のち改め「親王石棺」として載り、南方村の書出帳では「油塚」として報告された。その結果『芸藩通志』には「古壙 二所 官道の山麓にあり、石窟二あり、(略)」とまとめられた。同じく「石窟」として『藝藩通…

豊田郡の塚穴

現在はおおよそ三原市西部にあたる豊田郡には、「油塚」などの名を残す貞丸古墳*1や、「梅慶庵塚」と書かれた梅木平古墳*2といった、県内有数の規模の石室を備えた古墳が集中している。御年代古墳は近代の開口なので俗称が無いが、近世にすでに開口していた…

ほかの「人穴」三例

高宮郡の「人穴」三例の記述が似ているから、そのうち2ヶ所が古墳ならあと1ヶ所も古墳だろうという推定ができる。しかし他郡の例を見ると同じ名前でもバラバラの認識が集まるだけ。 豊田郡大浜村*1にも、古墳の石室を「人穴」の名で記載してある。 黄幡山人穴…