環藝録

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石碑石塔

神紋の突起

大鳥居の右脇には背の高い社号碑が立っている。 上部に神紋を据え、その下に「延喜式内社 伊豫国一宮」を二行に並べ、「大山祇神社」の字は全体の半分の広さを取る。 文字は掘りくぼめられていて紋章は突き出ている。ずいぶんと高いというか深い。

米の字の磨耗

聰敏神社と同じく、福山八幡境内奥に鎮座する松尾神社。 階段下に立つ石灯籠は安永7年の奉納。 その古さは正面に大きく刻まれた「米中買」の字のおぼろげな輪郭に現れる。

台石の低さ

福山八幡境内の聡敏神社石灯篭は「下魚屋町中買中」による奉納。今の今町と笠岡町のあたりに魚問屋があった。 二段ある台座のうち、上段の石は上三分の一ほどが飾りのため字が刻めない。「下魚屋町」の四文字がちょうどおさまる高さの側面のため、屋号を持つ…

芳名林立

衝立のように参道脇に広がる芳名板と同じく、一件一件の奉納者名が石柱に刻まれて隙間なく並ぶ姿は、横に連なる長さが権威づけとなる。一件一件への顕彰でもあるけれど、数が増えるほど構成要素のごく一部に均される。 時代を経て百圓が百万圓になっても変わ…

東の参道脇

福山八幡宮は東西の御宮があり参道も二ヶ所ならんでいる。 東御宮の階段麓に「儀式殿建設記念」の芳名板が連なっている石三枚におよぶ。儀式殿は麓の「東参集殿」の奥にある。 連なる玉垣と同じく、長い参道には長い芳名が似合うと。

総経費の面

その屋根替えのために一般氏子中から188万五千円奉納されたのが表に刻まれている金額で、左側面には総経費280万円が大きく刻まれている。 下の隅には石工の名も刻まれている。それ自体はよくあるレイアウトながら、石工からも「金六千円」が出されていること…

屋根替えの芳名

福山八幡宮の「御屋根替記念」の石碑は表の面に六段にわたって寄付者の芳名が刻まれている。金額別のいろは順となっている。最後が「世良」さんの後に「川口」さんなのは何なのだろう。 筆頭には3万円の「山陽染工会社」の名があり、次の6件が2万円となる。…

奉賛会の記念碑

寄附の芳名板の形がいろいろある中で、石碑に金属板を嵌めて参道脇に立ててあるのは、末永く残るのはもちろん今現在参拝する人にしっかりと見えるようにという強調の度合いが強く見える。 福山市の艮神社の、900年記念の一連の慶祝事業を記念する石碑に寄付…

しんぼくの木の根元

そんな大浦崎は「現在では平和な公園 町民いこいの場所となっている」と綴られるように、体育館とそれを取り巻く公園と海浜からなる。石碑の背後が高校のカヌー部の艇庫というのも良い背景を成す。 「しんぼくの木」という記念樹は基地跡の石碑より古く、昭…

大浦崎の知名度

大浦崎は、砂浜と海食崖という自然を残す場所してよりも、特殊潜航艇(甲標的)の工廠跡地として有名。 体育館やスポーツセンターのある公園区域に、平成4年建立の「特攻基地大浦崎(P基地)」の記念碑がある。厳しくはない書体。

碑の前の隙間

安神社の鳥居向かい、県道を挟んで立つ「太田三益碑」。説明はingressにポータル申請した際にちらっと書いた。既存の恵美須神社と接近していて大丈夫かと思ったが承認されていた。 石碑の正面は植え込みが広くこんもりとあって、ものが置かれて雑然とするお…

杉森橋の北

近大通りに架かる橋が「杉森橋」で、大学の南西部の山林には杉森八幡神社が鎮座する。 神社の東の山中は、芸藩通志掲載の杵原村絵図には「大通寺跡」とある。 山の中や麓のそういった信仰の名残というわけか、切り通しのように固められた道路の脇の擁壁に、…

城を望む楓樹

植樹されて間もない時期は幹が細いので、それを囲む範囲も狭い。 植樹の経緯を説明する記念碑も囲いの広さに応じて近い。 広島城跡内堀の北、基町高校向かいの公園にタイワンフウの植樹が二本。 www.sankei.com 日光東照宮の楓樹と広島市の被爆アオギリ二世…

若宮古墳の石柱

三次市十日市町の若宮古墳はさらに古い時期に指定された史跡なので説明板がさび付いていた。十年前の写真なので今はどうだろう。 説明板の手前には太い石柱に「広島県史跡 若宮古墳」と刻まれている。木より石か。

昭和のおはか道

博物館横からの坂道が毛利元就墓所または郡山登山道への入口となるが、昔の入口はもっと東側にあり、途中で毛利隆元墓所を通りやすいルートだったようで。 「毛利公おはか道」と大書された石柱は遠くからもよく見える。いつ頃の物かよく見ていないが、「吉田…

御火葬場の石

当時のものか知らないけれど、植えられた木の手前には石組みが段の正面を区切っていて、いかにも近代に整えられたような半月形の石。 木と並ぶ石碑は明治22年に立てられた。この場所を「毛利洞春公御火葬處」の名で顕彰する。

目印の樹

物産としての木より記念物としての樹の方が記憶されやすくて写してもらいやすい。 前項と同じく吉田村の「下調書出帳」に、「古跡」として挙げられているのは毛利元就墓所を筆頭とする古墓がほとんど。 御塚標樹 此御霊木はハリイフキとて世に数少き名樹之由…

記念植樹の碑が台形

都市の中の緑がその公園の中心なら、それを表彰する碑は、茂みに隠れて少し文字が見えないくらいがちょうどよい。逆に神社の注連柱などの、語句が主役の碑面が隠れる状態が続いては具合が悪い。 記念植樹に現れる人名が地元に(広島に)関わりある人なら、そ…

福山城周辺地区の中心

美術館正面の通りの脇は、モニュメントの点在する緑地で、「都市景観大賞 都市景観100選」の記念碑が通りに近い植栽の中にある。 受賞は平成8年。当時の建設大臣の中尾栄一の名が載る。背面には受賞理由が載るが枝葉に隠れる部分があり、「都心部の緑豊かな…

福山城内にある寄贈物

長屋門の背後に広がる「先人之森」も植樹されて整備されている。こちらは福山中央ライオンズクラブ。 天守の南の本丸広場には古いポールが「福山ライオンズクラブ」の名を示す。 福山城公園入口に昨年設置された案内図は「福山東ライオンズクラブ」。 文化ゾ…

植え続けられた桜

移築長屋門は福山城公園内の木々を引き立てる。または後から植樹された木々によって引き立てられる。 手前の桜植樹は福山シニアライオンズクラブによって平成16年から育てられた林。「桜を大切に」と刻まれた記念碑の背面に年ごとの植樹の本数が列記されてい…

格納箱置場

亀山南の伊勢神社(長井ふたたびの宮)では、拝殿脇にホース格納箱が置かれている。 正面からは見えにくい位置にあり、電工ドラムといっしょに物置のような一角。周囲には棒状の石材が積まれたり立て掛けられている。その一部は「旧鳥居」の脚部で明和9年の銘…

草茂る亀居城

文学碑が点々と据えられている大竹市の亀居城跡。石碑の形が様々なので、掘りくぼめられて磨かれた面は読みやすいが、字の彫られた面にも苔が広がっていたりするとぼんやりしてくる。 それを見た時期が草木の茂る夏場だったこともあり、城跡の小道全体がじめ…

聰敏神社由緒書

水野勝成を祀る聡敏神社は福山八幡宮境内奥に位置する。 平成6年に奉納された由緒書の石碑も、加工の加わらない部分が額のようになって銘文の面を囲む。うっすらと苔もあり付着した模様もあり、庭石のように馴染んでいる。

苔の額

呉市天応の田中八幡境内に「戦役記念碑」が立っている。大正12年5月の建立。 境内の入り口近くの低い段にあり、四重の台石に乗って見上げる高さになる。当時の第五師団長の陸軍中将山田陸槌の揮毫。 刻字のため整えられた面の中心は白く、凹凸の残る周囲が緑…

碇神社の御即位記念碑

中区の碇神社の記念碑群は境内南側の境を背にして並んでいる。 そのなかでも大きく黒い「御即位記念」と刻まれた石碑は「白島青年會」による。 上部が欠けていて年号部分が読めない。過去の多くの即位礼の中でほとんど大正か昭和に絞り込まれるけれど、数百…

背後の玉垣

表の参道沿いの整備はそういった節目の年に行われ、 社殿背後を取り巻き、裏参道に開く新しめの玉垣は、昭和天皇在位50周年記念として整えられた。 その芳名板は境内社の並ぶ庭のような空間に立つ。木立が密集していないので明るい。

階段とその脇

表の参道が整備されたのは、注連柱や鳥居の紀年にもあるように皇紀2600年紀年の事業。階段を登った所に建てられている石碑に「参道張石階段改築當時の総代」が列記されている。 階段の麓には「明治百年記念」の玉垣が連なり忠魂碑の方へ導く。 鳥居の前 - 環…

昭和43年の裏参道

その注連柱の先には、同じく昭和15年の石鳥居や明治百年記念植樹など多数の石造物がある*1。階段を上がる表の参道。 社殿の背後には車の通れる坂道が通じている。そちらにも注連柱が建てられていて、墨も黒々と「敬神」「崇祖」。 戦後の注連柱で新しいとい…

山田春三の書

石造物の説明板には「又柱」と書かれている標柱(注連柱)は明治39年の建立。 語句は「邦家之経緯」「王化之鴻基」で古事記に拠る。背面の書が止め払いを強調するのに対して正面の語句は滑らかに次の字画につながる。