環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

石碑石塔

福山城内にある寄贈物

長屋門の背後に広がる「先人之森」も植樹されて整備されている。こちらは福山中央ライオンズクラブ。 天守の南の本丸広場には古いポールが「福山ライオンズクラブ」の名を示す。 福山城公園入口に昨年設置された案内図は「福山東ライオンズクラブ」。 文化ゾ…

植え続けられた桜

移築長屋門は福山城公園内の木々を引き立てる。または後から植樹された木々によって引き立てられる。 手前の桜植樹は福山シニアライオンズクラブによって平成16年から育てられた林。「桜を大切に」と刻まれた記念碑の背面に年ごとの植樹の本数が列記されてい…

格納箱置場

亀山南の伊勢神社(長井ふたたびの宮)では、拝殿脇にホース格納箱が置かれている。 正面からは見えにくい位置にあり、電工ドラムといっしょに物置のような一角。周囲には棒状の石材が積まれたり立て掛けられている。その一部は「旧鳥居」の脚部で明和9年の銘…

草茂る亀居城

文学碑が点々と据えられている大竹市の亀居城跡。石碑の形が様々なので、掘りくぼめられて磨かれた面は読みやすいが、字の彫られた面にも苔が広がっていたりするとぼんやりしてくる。 それを見た時期が草木の茂る夏場だったこともあり、城跡の小道全体がじめ…

聰敏神社由緒書

水野勝成を祀る聡敏神社は福山八幡宮境内奥に位置する。 平成6年に奉納された由緒書の石碑も、加工の加わらない部分が額のようになって銘文の面を囲む。うっすらと苔もあり付着した模様もあり、庭石のように馴染んでいる。

苔の額

呉市天応の田中八幡境内に「戦役記念碑」が立っている。大正12年5月の建立。 境内の入り口近くの低い段にあり、四重の台石に乗って見上げる高さになる。当時の第五師団長の陸軍中将山田陸槌の揮毫。 刻字のため整えられた面の中心は白く、凹凸の残る周囲が緑…

碇神社の御即位記念碑

中区の碇神社の記念碑群は境内南側の境を背にして並んでいる。 そのなかでも大きく黒い「御即位記念」と刻まれた石碑は「白島青年會」による。 上部が欠けていて年号部分が読めない。過去の多くの即位礼の中でほとんど大正か昭和に絞り込まれるけれど、数百…

背後の玉垣

表の参道沿いの整備はそういった節目の年に行われ、 社殿背後を取り巻き、裏参道に開く新しめの玉垣は、昭和天皇在位50周年記念として整えられた。 その芳名板は境内社の並ぶ庭のような空間に立つ。木立が密集していないので明るい。

階段とその脇

表の参道が整備されたのは、注連柱や鳥居の紀年にもあるように皇紀2600年紀年の事業。階段を登った所に建てられている石碑に「参道張石階段改築當時の総代」が列記されている。 階段の麓には「明治百年記念」の玉垣が連なり忠魂碑の方へ導く。 鳥居の前 - 環…

昭和43年の裏参道

その注連柱の先には、同じく昭和15年の石鳥居や明治百年記念植樹など多数の石造物がある*1。階段を上がる表の参道。 社殿の背後には車の通れる坂道が通じている。そちらにも注連柱が建てられていて、墨も黒々と「敬神」「崇祖」。 戦後の注連柱で新しいとい…

山田春三の書

石造物の説明板には「又柱」と書かれている標柱(注連柱)は明治39年の建立。 語句は「邦家之経緯」「王化之鴻基」で古事記に拠る。背面の書が止め払いを強調するのに対して正面の語句は滑らかに次の字画につながる。

高い灯籠の台座

同じく本川西岸に鎮座する空鞘稲生神社。堤防の内側に位置していて境内から川を見ることはできないが社殿は東に川の方を向いている。 御由緒・御祭神 | 空鞘稲生神社【公式ホームページ】 公式サイトの掲載の昭和5年の写真には鳥居と灯籠と狛犬が写っていて…

新聞社近くの胡子

土橋の胡神社は本川西岸の雁木とともに舟運で賑わった町の名残のひとつ。 玉垣のうち古いものには屋号ごとの印が名前とともにあり、 (胡神社の玉垣 - 環藝録) 新しいものは中国新聞社や光和建設(現ソルコムか)などが並ぶ。

大竹の企業名

胡子の所在はその町のその当時の繁栄を反映する。由緒書きにも「大企業も市域では八社が林立」とある。 その境内を囲む玉垣は個人名と企業名が入り交じり、大竹市を代表する工業の紹介ともなる。中には「大竹市金融団」といった団体名も。 参道脇の石灯篭に…

昭和42年遷座

大竹胡子神社が現在地に遷座したのは昭和42年。それ以前の紀年の石造物は設置当時の配置ではないことになる。 遷座の年に建立された注連柱は「衆供之進路」「開運之標準」の語句。いかにもご胡子らしいご利益の強調で虚勢がないともいえる。書体は習字のお手…

色付き毘沙門天

その注連柱の立つ参道口には、社号碑のほかにも鳥居や灯籠や個人名の顕彰碑など多数の石造物が固まっている。 そんな地点におけるingressのポータルは自然石にペイントされた「毘沙門天」に設けられている(現時点で)。 同所にある他の石造物を申請するとすれ…

参道入口に注連柱

『廣島縣の標柱』には大瀧神社の標柱は3対が掲載されているが、そのほかにもある。 社号碑の立つ参道入口は住宅街の只中で参道らしからぬ生活道路のよう。そこに立つ注連柱は、先ほどの豊年橋よりも古い明治40年。 「明治三十七八年日露戦役出征大竹軍人」に…

石橋に明治と昭和

その鳥居のすぐ先にある石橋は「豊年橋」。親柱の一つには「ほうねんは」と見える。「し」は埋もれている。 内側には「昭和十三年」とあるが、外側には「明治四十三年」と見える。向かいの親柱の内側には、何とかの記念の為と刻んである。明治だと大韓帝国で…

鳥居の注連縄にも札

大瀧神社の山の上も麓も含めて、参道には何基もの鳥居が立っている。 50年の祝い - 環藝録 階段の手前に立つ金婚式記念の鳥居のさらに手前、小さな橋を挟んだ位置には皇紀2600年記念の石鳥居。 そこにかけられた最近の注連縄は薄茶色で拝殿前と同じ。ここに…

大正の注連柱

その看板の立て掛けてある注連柱には、「皇威」と「四海」が見えるので、間に隠れている一文字は多分「洽」か。正解は『広島縣の標柱』に載っているとして。 向かいには「神徳輝天地」とある。この注連柱は大正11年の建立。背面に刻まれた紀年銘は強く連綿す…

垣根の下の石

その芳名板の下の石積みには、「原爆誌」の碑が取り付けられている。左に英文表示も。 原爆により本殿も拝殿も焼失した。本殿が再建されたのは昭和59年。本殿焼失時の痕跡をとどめる物がこの石積みだけということで「永久に保存すべく」この碑文が設置された…

友廣神社の鳥居更新

友広神社(安佐北区)の元文2年の鳥居*1は脇に安置され、参道には新たな石鳥居が立っている。 低くなった元文の鳥居が跨ぐのは、新鳥居の奉納者の芳名板。 法人名は末尾にまとめられ、個人名は氏子集団の単位「組」でまとめられる。「三軒屋組」「エメラルド組…

金額小刻み

皇后八幡神社の階段麓には「八幡神社厳島神社階段改築寄附人名之碑」が建てられている。階段には背を向ける位置。 起工が明治30年で竣工が明治35年と年数をかけているため「社掌」が代替わりして連名になっている。 広い碑面に6段にわたって名前が連なる。右…

明治の百圓

糸崎神社の今川了俊歌碑*1の背後はブロック塀。それよりは低い石碑が手前に立て掛けてあり。寄進された金額が「百圓」「三拾圓」と並ぶ。 年を見ると、大きい百圓の方は明治35年で「還暦記念」、二本ある三拾圓の方は明治40年で「屋根葺替」のため。 *1:http…

皇后八幡の右脇

須波の皇后八幡宮でも同様に、境内の山林との際に芳名板と石碑が並んでいる。垣根状に立つ碑は「五十圓」や「百圓」でだいたい戦前か。 掲示板状の芳名板は「拝殿屋根葺替」の趣意が見える。その手前に立つ「拝殿修復完成記念」(平成7年)の記念碑には、平成3…

並ぶ金額

同じく山林との境に細長い石碑が何本も並んでいる。右端の石碑に「立太子禮奉祝記念」(昭和初期)という趣意が見える。 それぞれの表の面に寄進者名と金額が刻まれている。小さい、というと語弊あるが基本の額が100円で、左端のいちばん長い石は937円 、そ…

説明板諸相:ヒノキのあいさつ

県指定の天然記念物としての名称は「八栄神社の大ヒノキ」。 根元を囲む柵の手前に広島県教委と大朝町教委による説明板と、広島護国神社宮司(当時)の揮毫になる石碑が並ぶ。 説明板の文言は大ヒノキの自己紹介の形をとり、指定された2本のうち、「目通りの幹…

糸崎ご当地万葉集歌碑

それらの石碑とは違う向き、国道や海に向かって立つ一群の石碑もある。いかんせん目の前は埋立地が広がり海を望む向きとは言いにくい。 桜の枝がまとわりつく細長い歌碑は万葉仮名で「可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈」の歌…

石碑に添える歌

その歌碑の隣には同じ向きに立つ石碑が大小二つ。 「公人之碑」は明治の尾道の商家の当主「小林徳三郎」の功績を讃える頌徳碑。その養子の画家小林徳三郎の絵がふくやま美術館に所蔵されているので、展示目録No.124にてこの公人之碑も紹介されている。 その…

裏は略歴

その歌碑はいくつも石碑の並ぶ区域の中にあり、背後は玉垣のそば。傍らの杭に「裏側 今川貞世略歴」と案内があることによってようやく裏を見てみようかという気になるような立地。 略歴は横書きに刻まれていて、生年を西暦だけで示してあったり*1、「静岡県…