環藝録

はてなダイアリー『看藝累記』をインポート

遺跡

神辺の旧道風景

福山市の神辺旧街道筋は神辺城の山の麓に近く、昔ながらの家並みを一部に残す。 三日市通りには、商店の一角に「鈴鹿秀満旧宅」を示す標示が立っている。 ただ、その場でまず目につくのは古めかしいキリンの自動販売機。

勇免遺跡のあるところ

11年くらい前、三次の風土記の丘に塩町駅から行ってみようと、特に地図も持たず降りたところ、背後の山にある塩町中学校への坂道に行き着きいたので引き返した。 中学校手前の空き地に「勇免古墳群」「勇免遺跡」と書かれた茶色い木の柱が立っていた*1。そん…

説明板もうひとつ

昭和63年の若宮古墳説明板は、三次市教育委員会の設置で、 それより小さめな説明板は、設置年は見えないが広島県教育委員会と三次市文化財保護委員会の連名。樹間に斜めに引っかかっている様子から、この時にはもう役目を終えていたように見える。

若宮古墳の石柱

三次市十日市町の若宮古墳はさらに古い時期に指定された史跡なので説明板がさび付いていた。十年前の写真なので今はどうだろう。 説明板の手前には太い石柱に「広島県史跡 若宮古墳」と刻まれている。木より石か。

朽ちた標柱

道路から古墳に通じる開口部は、説明板と白い標柱に挟まれている。 県の史跡に指定された翌年に設置された標柱は、古墳名が大きく表示されている。 ただし木の内側から朽ちて頂部を失い、痛々しい割れ目を見せている。 平成の始めがこれくらい古いイメージを…

説明板諸相:戸島大塚古墳

同じく安芸高田市の古墳で、向原町の戸島大塚古墳は県指定の史跡。 付近まで舗装された道路があるので近づきやすい。路傍の説明板はけっこう高い位置に設置してあるが読みやすい大きさ。出土品が行方不明とのことで、解説文と遺構の図のみとなる。 指定され…

説明板諸相:甲立古墳

甲立古墳が国の史跡に指定されたのは平成28年3月。現地に説明板が設置されたのはその翌年平成29年。 左半分に古墳全体の測量図と調査状況の写真が添えられている。実際に墳丘斜面に多数の葺石が散乱しているのが見える。 出土品の中でもっとも注目される家形…

墳丘と幟

多目的広場にある甲立古墳の幟は、古墳現地の墳丘上にも立てられている。 山道から古墳の脇にたどり着くと説明板があり、小さな立て札の示す矢印から近づいていく。 後円部の墳頂部に囲いがあるのが幟と並んでいるのを見上げる。

多目的広場駐車場

麓の駐車場は甲立多目的広場の駐車場で、隣にグラウンドがある。 甲立古墳の幟や木製の看板など、甲立古墳をアピールする場所でもある。 地元の甲立小学校*1児童による「ようこそ 甲立古墳へ」の彫刻は甲立古墳そのものではなくイメージだが、教科書に載る畿…

距離つきの道しるべ

安芸高田の文化財では、毛利氏関連と並ぶ目玉になった甲立古墳。史跡としての整備が進み、麓の駐車場からの遊歩道ですいすい登って辿り着く。 山道を登ってすぐの分かれ道で、左は「甲立古墳 140m」と示す道しるべが立てられている。たいした距離ではないも…

絵地図の山城

郡山公園の展望台には、歴史民俗博物館になってからの比較的新しい「吉田町展望図」が設置されている。 イラスト表現は個々の施設を表すので同じものがないことが多いが、郡山城とその周辺の山々に残る城郭跡はその規模や知名度に応じて複数の表現をとる。 …

御火葬場の木

同じく古跡之部の「毛利元就公御墓所」に掲載の多数の付属物の一つに「御火葬場」がある。現在は墓所に至る車道の途中、大通院谷の公園の一隅に土壇が残る。 「御墓路の傍にあり標樹栂の木の様に相見へ申候」とある。植えられた木んp種類が正確には分からな…

天守の北西

旧内藤家長屋門の移築先は丘の上にあり、美術館からは東に見上げる位置に、天守閣最上層から見るとすぐ手前の森の中にある。 説明板の地図には、テニスコートなどの現在の施設の配置と埋め立てられた外堀の位置が重ねられる。

草茂る亀居城

文学碑が点々と据えられている大竹市の亀居城跡。石碑の形が様々なので、掘りくぼめられて磨かれた面は読みやすいが、字の彫られた面にも苔が広がっていたりするとぼんやりしてくる。 それを見た時期が草木の茂る夏場だったこともあり、城跡の小道全体がじめ…

有福温泉駐車場の記念樹

島根県の有福温泉には被爆者向け温泉療養所があったが、平成25年末に閉鎖した。 有福温泉荘が閉鎖 江津で被爆者癒やし46年 | ヒロシマ平和メディアセンター 跡地への施設建設は進まず、温泉地としての知名度そのものの低下が危惧される中、駐車スペースと…

生家附近の川岸

被爆樹木リスト共通の説明板はこじんまりとしていて、その隣にある「原民喜ゆかりの被爆柳」の説明板の方が大きくて目立つ。 この柳が、というよりもこの土地が原民喜と深く関わる土地あったということで「ゆかりの」被爆樹木となる。「かつて彼の持ち家があ…

遺跡のシンボル

現在の中央公園の中心の施設は「学びの館ローズコム」*1。それが建つ前は市民会館が公園の北西隅にあった。野外音楽堂も備わる。 戦災遺跡としてのこの場所は「福山遊園地の噴水池」という名称。戦災の記憶は複数の慰霊碑の形で残され、戦前の土地の記憶はか…

地上の石垣

現代の(ちょっと古い)地図に福山城の城郭の作る線を重ね合わせて、街並みの変遷を見せる方法で城郭遺構の説明を補足している。 整備された駅南口広場に石垣の一部が公開されている。一連の石垣を中心に据えた広場整備要求の運動が繰り広げられたが、現状は…

材木町の遺構写真たち

現地説明会の機会を逃しても、囲いのシートに展示された写真によって東側調査区での特徴的な知見の大体が見られる。(今年調査中なのは西側調査区) 31枚のラミネートされた資料は遺構や遺物の写真のほか、発掘調査の概要や材木町という場所の解説、材木町に…

工事現場は調査現場

その平和記念資料館の工事に伴い、資料館敷地の埋蔵文化財発掘調査が実施されたのが一昨年から昨年。途中式典などで埋め戻したことも。 フェンスの白い幕に掛けられた「遺跡の発掘調査をしています」の表示は西側の現場出入り口にあった。「遺跡名」と「調査…

石垣の上の木

広島城の濠端に並ぶ桜は整然と植樹されて花見のシーズンを彩る。 その他の木々、とくに石垣の隙間に根を張って斜めに伸びているような雑然とした配置のそれは、見ようによっては遺構を破壊する存在。でも一本一本に特徴があり学名がある、という引き立て方は…

東の県庁前

広島県庁の東隣街区には旅券センターと警察署がある。その間の建物は中国電力基町ビル。その一階で営業しているコンビニは「広島県庁前店」。 コンビニの駐車場の脇を囲むように細い敷地に植栽と記念碑が並ぶ。この地が「臨時帝国議会仮議事堂跡」であること…

角柱で屋敷跡

吉香公園西部とその奥の街区が昔は城下の武家屋敷で、さらに奥の山麓になると寺院が連なる。 宇都宮氏の屋敷跡には太めの木の角柱で表示してある。 宇都宮氏の中で比較的著名な二名、普請奉行の正如と弟の由的(遯庵)の名が挙がる。

墓所の中の門

その墓所の中には歴代藩主や妻子の石塔が配置されていて、 石や土の塀で区切ってあったり、石畳や階段で墓道が整備されていたリと、 ひときわ大きい五輪塔とそれを囲む空間が藩主ものであることが強調される。 藩主の墓が必ず木の門を構えているわけではない…

吉川家墓所説明板

墓所の入り口を入ってすぐの所と、墓所内の山道を登ってすぐの所に墓所の説明板が設置されている。 「吉川家の移り変わり」として、歴代領主(岩国藩吉川家)とそれ以前(安芸吉川家)の人物紹介がある。そこに載る全員の墓所がここにあるわけではない。興経以前…

脇の脇

吉川氏が駿河から勧請した八幡宮が龍山八幡で、右脇に接している社が治功神社。 安永9年、吉川経倫により再建された社殿が現在のもの(『大朝町史 上巻』)ということで、龍山八幡と比べてしまうとどうしても新しい。 吉川興経とその妻子を祀るのでこちらも…

古保利古墳群の案内図

古保利薬師の収納庫の後ろ脇には、稲荷・金比羅の小祠が控えている。寺院境内の最後部であるとともに、山林中に点在する古保利古墳群の入口でもある。 案内図には主な古墳が載り、確認されただけでも53基という。

盆地の東の工業団地

その石棺は氏神正田遺跡で見つかったもので、身長158cmの熟年男性の人骨も残っていた。 ということを記す説明板が石棺の奥(境内入口から見て)に立ててあり、字が薄くなっていることもあって読みやすくはない。 千代田町八重の盆地の東に「氏神地区工業団地」…

寺院跡に移された石棺

北広島町の小保利薬師(福光寺跡)は県内屈指の平安仏拝観の地。 その収蔵庫隣に一基の箱型石棺が移築されている。側面の石はほぼ土の中で草や苔に包まれて、さらに生垣が囲っていてあまり目立たない。

長束にあった円墳

それと同じ囲いの中に、「池の内第2号古墳」の竪穴式石室もある。 安佐南区長束にあった古墳の埋葬施設で、長束・祇園・山本の境に近い丘陵上にあった。 古墳時代 - 広島県ホームページ 三次の歴史民俗博物館は同古墳の家型埴輪を所蔵している。