環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

千光寺護摩堂以前

千光寺の山上にも三重塔があったというが、こちらは火事ではなく岩の崩落による倒壊と伝える。



本堂の手前の護摩堂に「千光寺略縁起」が掲げられている、その一部。

三百年前迄は当山城主杉原民部太夫元恒の守り本尊毘沙門天を安置する三十の宝塔ありしも山上より大石が落ち崩壊せしと、現在の護摩堂はその宝塔の跡なりと言う


藝藩通志』でも触れられていて、その頃(文政)からは「二百年前」。護摩堂の建立は百年ほど前の宝永7年。

昔は三重塔ありて、故城主杉原氏の護身佛毘沙門を安置せしが、二百年前破壊す、因て別に堂を建て、これを安す、その舊地に、今護摩堂を置く
「巻三十三 備後國尾道一 寺院 千光寺」