環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

佐久間艇長遺言

石碑に見える遺言は「佐久間艇長遺言」と「公遺言」とあり、前者は「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス誠ニ申シ訳無シ、」から「将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ尽クサレン事ヲ。サスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ」まで書かれていて、あとの(中略)部分は「沈没原因」と「沈据ノ状況」が報告されている。状況を記す途中に「右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス」と時刻が見える。
「公遺言」部分には「謹ンデ 陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハランコトヲ 我ガ念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ (後略)」を載せる。
「(後略)」部分は「左ノ諸君ニ宜敷」として、斉藤大臣を筆頭に関係する将官の名が挙がっているところ。「十二時三十分呼吸非常ニクルシイ瓦素林ヲブローアウトセレ*1積リナレドモ、ガリソリン*2ニヨウタ 一、中野大佐 十二時四十分ナリ」というところで終わる。
明治43年、その遺書となった手帳が写真帳として水交社から発行される。
漱石は「人から佐久間艇長の遺書の濡れたのを其儘写真版にしたのを貰つて、床の上で其名文を読み返して見て」、「文芸とヒロイツク」・「艇長の遺書と中佐の詩」を新聞紙上に発表した。

*1:

*2:ガソリン