環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

鷹野橋


まっすぐ南下してきた路面電車が南東に曲った所で「鷹野橋」電停となる。
そこから始まる商店街のアーケードには「たかのばし」とあり、

バス停には「鷹の橋」とある。

今は無い西堂川に「鷹野橋」が架かっていたことから、歩道に欄干のモニュメントが設置されている。

と、いうようなことの変遷はwikipedia:鷹野橋 (広島市)に詳しい。ただ、「鷹野橋の地名を冠する唯一のバス停「南たかの橋」は地区外(千田町一丁目)に所在。」という記述がどういうことやらよくわからない。
それはともかく、「当初は土橋であった。」とあるように、『藝藩通志』巻七の「橋梁津渡」の項目には、

鷹野圮二所 一は竹屋港の下にあり、長二十二間、一は西堂港の下にあり、長十二間、もとは並に新橋、又農人橋と稱す、後今名に改む。

「圮」(土+已)の字が使われている。
大漢和辞典』をみると、

【圮】*1 ヒ ビ  一.やぶる。やぶれる。 二.くつがへす。くつがへる。 三.河水が堤防を毀ち破る。 四.(略)
【圯】 イ シ  はし。つちの橋。どばし。

とあるので、意味からすると後者の「土橋」の方。混同しやすい字なので、「圯」の字の参考の欄に「[字彙、辨似、二字相似]圮、音痞、傾毀也。圯、音夷、橋也。」と引かれている。

*1:上と同様に「己」ではなく「已」