現在の瀬野川河口は、安芸区船越南と海田町明神町という埋立地に挟まれて、南区と安芸区に挟まれた海田湾に注ぐ。
江戸時代後期、宿場町と新開を抱える「海田市(海田村)」が河口部にあたり、その上流域に「奥海田村」がある。あわせて後の海田町となる。
『藝藩通志』では「瀬野川」の呼称を用いる。村々の絵図も同様。
町村からの報告では「大川」とあり、「小川」「溝川」といったその他の小河川に対して大きな川として示される。それでも普段の水量は多くない。
川上熊野村ヨリ賀茂郡跡村、瀬野筋より川下当所沖江流出申候、此里程凡五里程、浅深之儀平水ニ而者少々ツゝ流水御座候故、所ニより片渕*1之所も御座候、深サ弐尺位之処も御座候
「海田市国郡志御編修ニ付下弾*2書出帳*3」
川上熊野村ゟ賀茂郡跡村、瀬野筋ゟ川下も海田沖ニ而海へ流出申候、此里程凡四里半、浅深之儀平水ニ而ハ纔敷流水ニ御座候故、所ニ寄片渕之所ハ深サ三四尺之場所も当村内弐ヶ所御座候
「奥海田村国郡志御編修ニ付下弾書出帳*4」
どちらも、安芸郡御用掛による「文政七年の最終的訂正以後のもの」*5であるためか、「大川」の記述は同じ様式になっている。
村の立地からくる相違点が三つある。
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- 海へ出るのが「当所沖」か「海田沖」という自他の違い。
- 域内を流れる距離が「五里」と「四里半」。
- 水深が概ね浅い中に所々ある深い地点が「弐尺位之処」と「深サ三四尺之場所も当村内弐ヶ所」。
川幅は自然と上流に向かう程狭くなっており、
海田市 | 川下 | 60間 |
海田市 | 川上 | 56間 |
奥海田 | 川下 | 40間 |
奥海田 | 川上 | 28間 |
と記されている。
引用
『海田町史 資料編』