環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

広島城の現役時代

「諸国古城図」は近世後期の時点での廃城なので、城郭の現状が変わっている場合に「今ハ畠」とか「昔は水堀」といった注記があちこちにある。
今でいうと、広島城の幾筋もの堀が埋め立てられて、建物や道路になっていたりするのを説明する類の変貌。
近世の現役の城絵図は、例えば国立公文書館のデジタルアーカイブで「正保国絵図」が見られる。*1
そのうちの「安芸国広島城所絵図」を見ると、城内の道筋が赤い線で示されて「此小路門迄○○間」などと、事細かに距離が測られている。
本丸と三の丸を結ぶ二の丸には「二之丸総石垣高二間五尺 西東四十三間 北南二五間半」と書かれている。「とうざい・なんぼく」とは言わないのですな。

堀のところには広さ(幅)と深さが記入される。二の丸手前の三の丸と本丸の間には「廣二十三間深一丈」とあり、美術館・図書館付近の今はない東西の堀には「廣十間深一間」とある。