多治比川が江の川に合流してすぐの所の堤防。
河川敷にグラウンドがあったり、堤防上の道がウォーキングコースであったりする中で、川を背にして史跡案内の説明板が立っている。
落合河原の「いろは石」について、弘法大師*1が河原の石にいろは四十七字を書いたという故事にはじまり、毛利への使者として都から訪れた聖護院道増親王の和歌を紹介している。
いざ得ばや 言葉の花の いろは石 吉田かへりの 家つとにせん
吉田村の『国郡志御用ニ付下調書出帳』*2の「名勝之部」の筆頭に「いろは石」があり、当時も字の書かれた石があったという。
今住吉の川原住吉社のこなた落合の川原多治比川と本川と落合の処なりにて稀に拾ひ得者ありあさやかなる者は今筆を取て書しことく多くは一石一字二字はいといと稀也