環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

多治比川の稲田橋

国道54号の東、商店街から伸びる道にあたる「稲田橋」は赤い。

案内図上でも欄干を目立たせている(実際は反った形ではないけれども)。

近世後期にも規模の大きな板橋として知られていて、「吉田十二景」*1のうちの「稲田橋納涼」に選ばれている。吉田村の橋の筆頭*2にあるのはもちろん、高田郡全体でも板橋は二例があるのみ

一、橋  七百弐拾ヶ所
   (板橋 弐 吉田町稲田橋 上根村刎橋
 但 (石橋 弐百弐拾七ヶ所 (略)
   (土橋 三百四拾ヶ所
   (木橋 百五拾壱ヶ所  (略)
「国郡志御編集ニ就テ下調郡辻書出帳」『高田郡史 資料編』

多治比川を「稲田川」とも呼ぶことは、吉田村の「川筋」の部に「一名稲田川」とあり郡辻帳(同上)にも「本名稲田川」とある。より詳しくは吉田村祇園社(清神社)に述べられており、「日本紀神代巻」にあらわれる「可愛川」を同村の「江ノ川」であるとしたうえで、

又吉田ヲ流ルル川ニ小川一派アリ
多治比村ヨリ流レ来ル故ニ今多治比川ト云フ
旧名稲田川ト名ク吉田ノ市中ヲ横ニ流ル
其川ニ橋アリ稲田橋ト云フ
又隣村常友村ニ八岐大蛇ヲ封祭シテ八面荒神アリ
併セ考ルニ当社ハ神代ヨリノ鎮座タルコト古伝ノマヽニ疑モ無コトナルヘシ

と力説している。

*1:文政二年『はつみどり』

*2:吉田村「国郡志御用ニ付下調書出帳」