環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

埃ノ宮神社

「可愛学校」バス停から広島方面へ進むとまもなく「宮の城」バス停。

吉田の大字のうち、山手・川本・中馬がいりくんで接しているあたりで、国道と江の川の間にこんもりとそびえている小山に「埃ノ宮*1神社」が位置する。山は川本に属し、西方の中馬の谷から流れてきた「油川」と「本谷川」に挟まれている。

「埃ノ宮神社」の名は、可愛村時代の明治44年に村内の神社を統合*2した際に改められたもの。
廣島縣神社誌』によるとそれ以前の名称は、

和暦 西暦 神社名
延宝4年 1676年 山手村可愛宮
享保元年 1718年 八幡宮
延享元年 1744 八幡宮
文政6年 1823年 宮之城八幡宮


といった例が見えるという。『藝藩通志』では「八幡宮」が同じ宮の城の山に二社あり、それぞれ川本村と山手村が祀るとある。

もっぱら八幡宮と呼ばれたその山の神社は、八幡以外の諸社の合祀によって、村名と関わる「えのみや」の呼称が採られるとともに、「埃ノ宮」の表記を採ることによって神武東征との関わりを打ち出すこととなる*3

関連

神社名 多家神社(たけじんじゃ)・埃宮(えのみや) http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20061211/1165843318
惣社とその周辺 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20080212/1202835522

*1:えのみや

*2:常友・常楽寺・山手・中馬・川手の十一社を合祀

*3:神武天皇聖蹟誌』など参照