環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

山縣川・可愛川・江の川



大朝町新庄の開明橋。河川名は「江の川」と。

町内を流れる大塚川、筏津川、田原川、岩戸川等の諸渓流が合わさって可愛川となり、千代田町壬生を通り、高田郡八千代町の土師ダムより江の川となり、吉田町を過ぎ東北に一直線に、三次市に流れこむ。
『大朝町史 上巻』第一章大朝町の自然 第二節地形と地質

というのが源流域・大朝町からみた江の川の説明。前項にみた「可愛川」の適用範囲とはちょっと違っている。郡を越えたところで土師ダムがあるからには、その前後で別物という認識になるのも自然かもしれない。

この本流部分、『藝藩通志』では「山縣川」となる。

山縣川  水源は、大塚村の山より出て、大町、別所、免賀原*1の三川となり、其下流合して一となり、総名山縣川とよぶ、
藝藩通志』巻五十九 安藝國山縣郡三


それのもととなった資料のひとつ、山縣郡の『国郡志郡辻寄記録』*2も「山県川」を郡内の「大川」の一つとする*3

壱筋  山県川
 此川之名目聢与申伝も無御座候、水源より水下ニ至迄口山県を経候ゆへ斯名挙テ出申候、(略)

郡の東部、江の川流域の諸村をあわせて「口筋」「口山縣」と呼ぶ区分があった。そこを流れる川の「惣名」ということで、村ごとの記述としては定着しておらず、「大川」ですませたりするのは高田郡と同様。

*1:女鹿原川のこと

*2:千代田町史近世資料編 上巻』など

*3:もうひとつは太田川