環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

文久の四柱

西に向かって細長くのびる参道の入口に、「二柱屹乎表道」「群黎肅然起敬」の注連柱(標柱)が立っている。古典の中に徳目や神威を込めるのではなくて、「二柱」が高々と聳える様子の誇らしさが表明されている。



文久2年*1のもので、石鳥居の宝永と比べると新しいし字の彫りも深い。
広島県の標柱』(広島県神社庁,2004)によると、

標柱の出現は石鳥居よりもはるかに後れ、江戸時代末期以降になってからであることが判明した
(奥村唯三郎「第二編 標柱の概説 ニ、建立年代」)

とのことで、県内の標柱の中では古い部類になる。県内最古は尾道市土堂町の住吉神社(文政三年)で、次第に瀬戸内海沿岸地域へ広まっていった。竹原市内では磯宮の参道入口のもの*2(弘化三年)が古く、その十六年後に下賀茂神社に二対の標柱が立ち、賀茂川上流の恵比寿神社(田万里)にも立っている。

入口のものが五月で、鳥居の奥に立っているのが六月となっている。どちらも高さ270cm・幅30cmの同寸法とのこと。八尺八寸八分ということか。