環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

防府駅(旧三田尻駅)

明治31年に「三田尻駅」が山陽鉄道の終着駅として開業する。

 石城神社に参拝して特別保護建造物たる社殿や木鉾、高麗狗、曲玉、石斧などの神宝・蔵品を一覧し、同行の有志に神籠石に関する卑見を演説して、田布施まで出たのは夕暮であった。ここで夕食をすませ、翌日の行程を便にする為に夜行で三田尻まで行った。旅館に尻を落ちつけたのはかれこれ十時であった。
喜田貞吉 周防石城山神籠石探検記 喜田貞吉 周防石城山神籠石探検記 喜田貞吉 周防石城山神籠石探検記

この明治42年末の田布施の調査の頃には、国有鉄道山陽本線になっていた。


昭和37年に「防府駅」に改称される。

おそらく、一世代後の二〇〇〇年ごろには、三田尻駅という名は人の脳裡から消え去ってしまい、史誌のみにその名を留めることになるのであろうか。
駅長さんの書いた駅名(広島鉄道管理局)ものがたり (1977年)

と、昭和52年に書かれていたりする。単なる知識としてなら、google:"三田尻駅"の検索で約 23,800 件のページが参照されるくらいには知名度は維持されているといえなくもないし、「三田尻駅」時代を知る人がいなくなるほどの歳月でもないが、今を起点にして四十や二十年先というふうに考えると、確かに遠い未来と感じるものかもれしれない。



駅前から市内の名所旧跡への方向が示されているうち、比較的駅に近い所に種田山頭火関連の旧跡がある。例えば昭和12年の日記に「三田尻駅」とある。

 八月五日 晴。

午近くなつて帰途につく。
再び富海に下車して海に浸る。
白船君は落ちついてゐる、漣月君は元気いつぱいだ、さて私は。――
三田尻駅で、東路君に逢ふ、飲む、酔ふ、泊る。
種田山頭火 其中日記 (十一) 種田山頭火 其中日記 (十一) 種田山頭火 其中日記 (十一)