環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

経ノ尾の経塚

資料館や大願寺のある西町と、さらに西の大元との間に「経ノ尾」が海に向かって突き出ている。

経尾 大元へゆく路の岡にあり。傅へ云、平相国、一石一字の法華経を、こゝに納めしと。今も一石塔あり。其處より經字石を出すことあり。此地の草樹ハ、采樵すれバ祟ありとて、取らず
藝藩通志』巻十六(『宮島町史 資料編・地誌紀行1』所収)

という説明は『藝州厳島図会』にも引き継がれ、「平の清盛公許多の小石に法花の首題を書寫し」や「枯コウ*1せしものといへども、采樵すれハ祟ありといふ」といった細かな説明も加わっている。


大元への道が切通しになっていなかった頃は、現在のような経塚のある尾根まで階段であがるという道ではなく、道の最高所からの分岐をくだって経塚や宝篋印塔に至るという動きになるか。山上に十王堂があったころであれば、十王堂がワンクッションあってその奥に控えているというイメージ。

*1:木偏に高