環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

金網越しの神道碑

その合塔の奥には神道碑を包む廟宇が一軒。三次領初代浅野長治(鳳源院)による浅野長晟(自得院)の神道碑(墓道・参道に建てる頌徳碑)。

見上げると概要を書いた札が取り付けてあって、「従四位下拾遺補闕兼芸備二州都督 浅野長晟公神道碑」と大きく書かれているので、それが正式な呼称か。堀杏庵による碑文で、長晟の七回忌に建てられたとの説明。

三次町国郡志』の鳳源寺の項には、「神道碑」の語は無いものの「碑御廟」があるという記述。

浅野但馬守弾正長政公御次男長晟公の御事
自得院様 碑御廟 一宇
  但し碑御銘書写し恐多く奉存略仕候

とあり、碑文そのものは「恐多く」載せていない。「国郡志」*1の資料作成にあたって、寺院であれば鐘の銘など*2、古跡や墳墓に残る碑文であるとか、旧家に残る古文書の類とかは残らず書き出して提出するようにと、それぞれの村へ指示されている。
歴代藩主に関わるものだと例外に省略するということか。藩の方で既に知っている資料ということでもあるか。

*1:芸備国郡志』に代わる領国地誌として『藝藩通志』となる

*2:「鐘銘抔茂見合ニ写シ可指出」『五日市町史 下巻 資料編』