その展望図の「廿日市市街地」と「佐伯区街地」の部分は修正が加えられたもののようで、設置当初は別の言葉(例えば「廿日市町」)で現わされていたものか。それにしても「佐伯区街地」は見慣れない言葉。
開園が昭和51年ということで、その頃と比べて海岸線の形は大きく変わっているだろうし、五日市と廿日市の市街地の一体化も強まっているのだろう、というような変化は古い航空写真でも見ればいいか。
展望台からは広島はつかいち大橋*1の曲線が見える。大まかに見ると、橋の東詰が五日市港で西詰が廿日市木材港。