環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

福島社

下平良村の福島明神が『日本三代実録』に記された「榎本連福佐賣」に由来するものという想定が江戸後期になされ、『藝藩通志』編集の過程で下平良村からの下調べ帳(を用いた安政六年の書出帳)に「福島社」について「古老之申伝ヘニハ福さめ共唱」「榎ノ川ノ久保と申ヶ所有」などの情報が補強される。


藝藩通志』では「孝義」の部に「榎本福佐賣」が立項され、「祠廟」の部には「福島社」の名で「福佐賣」について触れられている。

同村にあり、里俗福島明神と称す、何神なるを知らず、藩公子白杏君、おもへらく、貞観の節婦、榎本福佐売を祭るならんと、頼惟柔に、其ことを記しめ給ふ、其文、芸文に載たり、祠傍に、河合川一に榎の川また榎久保、河合町などよぶ地もあり(略)

と、関連しそうな地名も列挙するものの、むやみに断定してるわけでもない態度。