環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「山伏塚」

小田村の『国郡志御用につき下調べ書出帳』に「古跡」として「山伏塚」が載っている。「松笠山ノ内石ニ而三尺九尺ノ穴ヲ築先年山伏這入申候由申伝候」という内容。

前項の「広島市安佐北区所在 山武士塚古墳群の測量調査」にいう第1号古墳が、竪穴式石室に盗掘穴の開いた状態で現存している。天井部の東隅から開口しているので、入るとしたら身を屈めて潜り込む感じ。床面の幅約1.1m、長さ3.7mとあり、「三尺九尺」がそれに対応するのか。「這入」というのが修行するくらいの意味だとすると松笠観音寺に近い立地ならではの古墳の再利用であるし、山伏が入った事実がなくとも、こういう穴ならいかにも入りそうだという連想が導かれる土地の特性といえる。

ちなみに、藩内の他村で同じく「国郡志御用」として報告された「山伏塚」が忠海町に見える。

宮床浦ノ後ロナル田ノ中ニ古跡アリ 此塚ニ障ル時ハ祟リアリト申伝フ
竹原市史』所収

また、奴可郡宇山村には洞窟の名に「道玄穴」という山伏の名がつく。

岩穴壱ヶ所 入口横四尺堅五尺 奥横弐間堅三間 昔道玄と申山伏住候由申伝、今ニ道玄穴と申伝候
『東城町史』所収