環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

大毛寺の人穴

上ヶ原神代人穴 数拾ヶ所  往古人住居仕候由 奥行五間 横九尺或ハ二間三間有之候片平ニ入口有之中ニ炭ノ粉杯有之何ツノ頃何人住候歟ハ相知不申左右奥ハ築地ニ而上ハ石畳ニ仕雨露漏不申候当時ハ野山又ハ百姓腰林ノ内杯ニ御座候
大毛寺村「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」

と、大毛寺村の古跡として記録されているけれど、上中野村や水落村では取り上げられていない。複数の村にまたがる福王寺山南斜面を「上ヶ原」ということにするなら、現存の青古墳群も含めた古墳が「数拾ヶ所」あったということか、それとも数量については大毛寺村にあるものだけかもしれない*1


「奥行五間 横九尺或ハ二間三間」という寸法が、どの古墳のどの部分をどう測ったのやら。青4号古墳の「全長5.95m、幅 入口付近1.1m、中央1.45m、奥壁部1.24m」*2とくらべても、そのままでは置き換えられない長さ。墳丘の直径はどれも10m前後だから「幅」とは違うようだし。

*1:給人原を含むか含まないかでも数量が変わる

*2:『可部古墳群-目で見る給人原古墳群-』はにわ会.1974