後から発見調査された場所は、埋め戻されない限りは遺跡以外の場所を名乗ることなく、公園になったとしても「史跡公園」であり、勢い説明過多とまでは言わないにしてもいかに価値ある遺跡であるかが力説される。
清神社背後の郡山公園一帯だって何かしらの遺跡ではあったろうけれど、花あり池あり記念碑ありという造作の加わった土地にそれ以上遺跡の要素を添えたらどちらが強いか。
早くからある各種の記念碑はピンポイントにその位置にあることの必然性が薄い。位置選定を含む公園形成の歴史の方がある時代の遺構遺物よりも面白いことはままあること。