環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

榎川の名

『藝州府中荘誌』の「第一章 地誌 六、河川」には五つの河川名が項目となっている。一括りにすると府中大川とその支流にあたるが、御衣尾川山田川が合流して以降を「榎川」と呼ぶので、府中大川に合流する川は二本。


榎川についての説明は語源の考察と堤防の規模と水害の履歴に充てられる。

榎川 榎木川、埃之川、江之川等稱す、榎木川の名は、誰曾廼森の麓、此の川に添ふて榎樹多くあり、神武大武*1御留蹕の際も、此の木に御船をつながれしと傳へ、其後も自然に此の樹を残し今日も尚相當の大木を有するなどにて、此川を呼びたるか、埃之川、江之川は埃之宮との連絡なるべし。(略)

川沿いに榎の木があるからという語源はあくまで著者の推測ではあるが、「えのきがわ」という読みと「榎川」という表記が変化していない前提は、他の変化(埃之・江之から榎へ)よりは無理がないのかもしれない。
なので、「榎」以外の表記は後から神武帝にあやかって派生したものと読めばいいのだが、「連絡なるべし」というふうに先後関係をやや曖昧に済ませている。各種の表記がいつの時代のどんな史料に現れるかが気になる。

*1:帝の誤植か