環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2006-01-01から1年間の記事一覧

「あきたかたの狛犬」2 石造狛犬

神社を訪れてすぐに見かける参道狛犬は写真パネルで紹介される。 そのうち10組が前脚を玉に掛ける姿で、「尾道型」と呼ばれる。片脚で小さい玉を持つものと大きな玉に凭れ掛かる姿勢とがある。 吉田の街中にある荒神社の狛犬はこじんまりとしている。たいて…

「あきたかたの狛犬」1 木造狛犬

ひしめくばかりの展示の多くは参道ではなく神殿内に安置されてきた木造狛犬。*1 前脚が欠けたものはつっかい棒を立てたりうしろから釣り上げたりしてバランスを保つ。吽形に角を付けていた場合も、なくなっていてその名残が見えたりするものがある。 *1:写真…

「あきたかたの狛犬-戌年の狛犬めぐり-」

場所:安芸高田市吉田歴史民俗資料館 期間:平成18年4月29日〜6月25日 展示資料:狛犬43組*1・写真パネル18組 亀尾山神社(高宮町・室町時代) 日高山神社(八千代町・安土桃山時代) 川角山神社(美土里町・安土桃山時代) 埃ノ宮神社(吉田町・江戸時代) …

安芸津彦神社の狛犬

多家神社の主祭神は神武天皇と安芸津彦命。 南下安*1の安芸津彦神社の主祭神は安芸津彦命と安芸津姫命。明治以前は官幣社と呼ばれ、厳島神社との関係が深い。 ここの狛犬は彩色が施され白いまなこに黒々と瞳が描かれている。多くの場合、向かって左に吽形が…

多家神社の狛犬

写真は参道入口の狛犬(獅子)。向かって右に建つ阿形。 台座の碑文に、文政八年に前田屋貞八が「狛犬一対を松崎神社*1に奉納」したのに始まり、その子孫によって修繕・移転・新規奉納が行われたことが記されている。 座っている円筒形の台座に、向かって左…

神社名 多家神社(たけじんじゃ)・埃宮(えのみや)

写真は「えの宮公園」の入口にある「多家神社裏参道入口」の看板。 「多家神社」と書いて「えのみや」と読むわけではない*1。 古事記に「多祁理宮(たけりのみや)」、日本書紀には「埃宮」に神武天皇が御逗留したとある。 検索してみると、「多家神社」を正…

文字抜粋・「倉」「角」など

「当」「夏」「倉」「角」「残」 ある点で接して起筆(または終筆)するよりも、長めに突き抜けて書いた方がいかにも書きやすく勢いがある。逆に「残」の終画が突き抜けていなかったりもする。 「云」「現」「建」「四」「に」「は」 連綿して画数が減ったり、…

文字抜粋「家」「紀」「御」

説明板中の字体は統一されつつも、書き慣れたであろう略体が使われたこの三文字。 「家」の、右へのはらいのうち一本は略され、二本は切り離される。 「紀」の、糸偏の下三点はよく見られるもの*1。 「御」は、くずし方の程度の幅が広い中では崩れていない方…

説明板諸相・多家神社略誌

多家神社*1の参道入口にある「多家神社略誌」は、府中町と府中町観光協会の名で昭和四十七年七月五日の日付がある。 文中のところどころに常用の*2字体とは異なる漢字が使われている。さらには文語調の語末*3に引かれてか、仮名遣いが統一されていない。なの…

説明板諸相・府中町の文化財

府中町教育委員会設置の説明板は住宅街で目立ちすぎないように佇む。 文字が読みやすい大きさで簡潔な説明がなされる。消えかかった文字の中にあって訂正箇所がくっきりと映える。 「下久禰」は「しもくね」。「くに」や「ひさや」ではなく。

説明板諸相 広島県の文化財

写真は多聞院内の史跡「頼家之墓」の説明板。広島県教育委員会と広島市教育委員会の設置。 説明文中に載っているのは、春水・梅?*1(静子)・杏坪・聿庵・誠軒・古楳の六名。 えんじ色*2の枠によって広島県もしくは広島市の指定文化財の所在を示す目印となって…

説明板諸相 原爆被災説明板

写真は多聞院*1にある原爆被災説明板。 広島市のサイト内の原爆被災説明板のページに45箇所の説明が載っている。 そのページの説明にある「赤御影石の台座に写真とエピソードを焼き付けた陶板や銅板を取り付けて」いるのが写真のようなものであるが、「御幸…

広島・ヒロシマ・廣島

前項で書名を誤記し、「ヒロシマ」を「広島」としていた。 keyword:ヒロシマにもあるように、片仮名表記の「ヒロシマ」の原爆イメージ喚起力は強い。 ググると以下のよう。 語 件数 ヒロシマ 1150000 ひろしま 1270000 広島 79700000 廣島 1020000 長崎も同…

「法務総合庁舎地点」2 近代の遺物

明治時代に城郭一帯は軍用地となった。現在の護国神社の地に師団司令部が、現在の市民球場の西部に護国神社があった。 この遺跡のあるあたりは、第五師団所属の歩兵第十一連隊の敷地だった。出土したコンクリートの構造物は軍関係の施設のものとみられている…

「法務総合庁舎地点」1 武家屋敷の遺構

アストラムラインの城北駅から数分。 説明会は午前10時・11時と午後1時・2時の4回行われた。遺構を囲んで反時計回りに順路をめぐる。塀の柱穴、石列、池跡、そして数多い井戸跡など。今も井戸は水が湧く。 配付された資料によると、「寛永年間広島城下図」で…