環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

竜の居るところ

範囲を狭め、『文政二年高宮郡*1 国郡志御用につき下調べ書出帳』*2から、竜を祀る小祠を挙げてみると5ケ所。 大毛寺村*3上畠「龍王」 絵図では隣に「上畠池」という池が描かれており、本文中に「但此内ニ小島有之土器山ト名附往古ヨリ御神供ノ土器ヲ捨申候…

遠い夜空にこだまして、西の宮に坐す白竜王

竜王神社の注連縄が、竜のかたちに綯われてまして、 稲穂実らす恵みの雨を、またこの度も齎し給へと、 祈るとともに、鯉ささげ、登竜門を翔け上がり、 栄光の旗を立たせよかしと、無理難題を求められにき。 とかいう出鱈目を思いついたりする写真。

右や左の道祖神

安芸郡府中町本町の導神社は道祖神の地蔵堂。「辻のいぼ落とし」として祀られている。 その注連縄は左を本に、右を末に向けている。北から来る人も南から来る人もいるから、向きの入れ替わるような慌ただしさもあるだろう。さながら口縄が疫病神に牙をむける…

竹筒に垂らしめ綿津見拝みん

三次市の住吉神社は馬洗川西岸にあって東岸の厳島神社とともに渡し場の守り神。 拝殿に見える注連縄は中ほどが太く、紙垂も〆の子も同様に力強い。 縄の向きは右が本、左が末、という一般的なもの。

針金でくくりひめ

航行の目印としての白紙にいつしか祠が建ち、白山から菊理姫が勧請されて広島の総氏神の体裁が整った。 標柱に架かる注連縄にはワイヤーが平行して張られて垂れ下がらないようになっている。注連縄にぶら下がる紙垂も針金で繋がる。

白神社の岩礁

本殿横に突兀と岩岩がごろごろ。 説明板にはこうある。 この岩礁は、広島城築城当時(1591年)海岸線であったこの付近に露出していたものです。又、国泰寺愛宕池の岩と一体のもので、このような岩礁が市街地に残っていることは、三角州発達の歴史をたどるうえ…

平和大通りの縁日

白神社の周りに店がならぶ。 やきとりにりんごあめやピカチューカステラ*1。 この写真、神社の祭りと見せかけて、広島フラワーフェスティバルの風景。 *1:「チュウ」ではなく

鷹の羽を接ぐ柿柱

白神社の秋祭りには愛宕池の周りに出店が並び、家族連れが岩々に腰かけてくつろいでいる。 幕に付いている紋は違い鷹の羽。たっぷり実った柿の木に掛けられている。

愛宕池の木々

平和大通りの白神社*1前の部分は「旧国泰寺愛宕池」という広島市指定の史跡。 かつて池を形作っていた岩と石橋が残り、その隙間の各所に木々が生い茂っていて、大通りの緑地帯の一部になっている。 被爆樹木のプレートがあちこちに付いていて、クロガネモチ(…

「撮っとこ!広島城」5 初代の頃の名所

展示された昭和9年*1の廣島名所絵葉書には、新天地・饒津神社・大本営跡・高等師範学校・御便殿・泉邸・広島駅・武徳殿・戦勝記念碑・広島城、の写真が使われている。そして11年後に大方が崩壊。 大本営跡の前に被爆樹木のクロガネモチが立っている。 プレー…

「撮っとこ!広島城」4 二代目建てて講和条約

昭和26年、体育文化博覧会の会場として仮設の天守閣ができて、国体の終了後に解体。 展示の写真が賑々しさを伝える。 国宝天守崩壊後の石垣のみの写真、天守の前に架かる鯉城橋の写真、お猿の電車の写真。 二代目については 「広島城ホームページ」 内の 「…

「撮っとこ!広島城」3 復元ブームの三代目

昭和31年に広島市民球場建設に伴って、本丸に護国神社が移転。 昭和33年に広島復興大博覧会が開かれた。第三会場が鉄筋コンクリートで復元された天守閣。 展示された写真では、 建物の無い天守台の写真から、天守閣建設中の写真、護国神社前に集うバスなど博…

「撮っとこ!広島城」2 今を伝える城景

例によってはてなフォトライフで「広島城」の写真を検索。世界遺産に比べてちょっと少ないが。 http://f.hatena.ne.jp/keyword/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%9F%8E展示に応募されたほうの広島城は色とりどりで、天守を彩る桜・月・新緑。天守だけじゃない、復元さ…

「撮っとこ!広島城 -未来に残そう広島城の姿」1

今年の3月11日の中国新聞に、 中国新聞 地域ニュース-広島城の写真収集に協力を という記事が載っていて、来年の天守閣復元50周年にむけた活動を紹介している。 リンク切れの記事をリンクするなと、ごもっともで。 新聞本紙にあたるか、または、その記事をブ…

天守と遊覧船

城北駅を出て南に向かうとすぐ内堀の角にたどり着く。 内堀をはさんで目の前に広島城の天守閣が見える。 この日は広島フードフェスティバル*1だったので、櫂伝馬遊覧船も見えた。 *1:10月27・28日