環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

深川(ふかわ)

広島市安佐北区の深川は「ふかがわ」ではなく「ふかわ」。 語源が「深」じゃなかったときのために、振り仮名の「か」は「川」のほうに置いておきましょうか。 古い表記では「苻川」がある。これや「布川」なら読み間違いを防げるが、重箱読みが落ち着かない…

300年前のわんわんわん

後西院天皇は現行の数え方では111代。数え方をちょっと変えて将軍綱吉時代の後期、東山天皇を111代とするには、淡路廃帝*1と九条廃帝*2を数えないのが手っ取り早い。が、何のメリットも無いよ。 それに因むような遠いような写真で、上深川・中深川・下深川を…

三百日目

「後西院天皇」

広島市内を何気なく歩いていて「後西院天皇」なんて文字列を目にすることなんてそうそう有ることではなく。この調子なら「後西天皇」の10や20見つけることになるだろうか。きっと違うだろう。深川4丁目(院内)の「深川薬師縁起」説明板から。 改宗 後陽成天皇…

薬師の遍明

JR芸備線の中深川駅の北、三篠川を渡ってまっすぐ行く道が、明光寺薬師堂に至る薬師道。 参道の始まりに据えられた石灯籠に「遍明」の文字。岩をも徹して減衰しない、しかも無害。 「深川薬師縁起」説明板に「主尊薬師如来像は、弘法大師が福王寺(可部)不…

不動の法燈

その「法燈」と刻まれた石灯籠は福王寺*1の参道(不動坂)にあって、弘法大師御入定1100年にあたって建てられたのはこの項http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20070430/1177943233と同じ。 真言宗の法燈は恵果から空海へ。 經範の『大師御行状集記』に、この時…

筒瀬・津々瀬

同じく昭和9年*1に建てられた石灯籠。こちらの踊り字は「々」の形。 これは6月2日の項http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20070602/1180791116に挙げた写真の下のほうにあたる。 「寄附者安佐郡日浦村字津々瀬(個人名は略)」とあって、「津々瀬」は現在の「筒…

砲兵のΖΖ

iPhotoをひっかき回して「乙」が二つ並んでいるような字は無いものかと探してみる。時間ばかりかかって宜しくない。 さて、広島城下に残る「明治天皇御用井*1」の顕彰のため昭和7年に建てられた聖蹟碑。 野砲兵第五連隊によるもので、側面に 聖蹟此處ニ在リ…

うかんむりにゼータ

「若宮」を拡大するとこうなっていて、「呂」より書きやすそうだ。 「Z后」とか「Z蒙」か、いまいち。 後が無いつもりでも、そのあと結構続いたりする。

扁額ふたつ

安佐北区可部の地蔵堂(九品寺跡)の隣に若宮神社がある。 「若宮」は主祭神の御子神で、八幡宮で言うと仁徳天皇にあたる。春日大社で言うと天押雲根命にあたる。 小さい緋鯉は子どもたち、面白そうに三つ巴*1、という三位一体。 中央の扁額は「若宮神社」、右…

鶴羽根神社の境内社

三行書きの扁額を並べ立てて、陰刻、墨書と来て次は陽刻。 鶴羽根神社の境内に「地主大明神・椎木稲荷大明神・八十吉大明神*1」の社殿がある。 ご当地神格といった顔ぶれで、チェーン店にはない味わいがある。(喩えが陳腐) 扁額中央の椎木稲荷大明神は文字数…

麦田八幡神社の境内社

麦田八幡神社は安佐南区大町にあって山陽自動車道の武田山トンネルの入口が目印*1。 本殿の隣に境内社が一宇。扁額には三神が並べてある。 左から「胡子神社」「新宮神社」「賽神社」。文字の配置はどれも同じ高さ。 *1:出口?

文字抜粋「新」

と、拡大して一文字分表示するにはちょうどいいサイズなわけで。 扁額の三行は中央の新宮を一番高く配置、八幡のほうが三島より若干高い位置にある。 「新」の左がわ「辛」が「六」のように末広がりの向き。点を開いたからとて旧字体になるわけではない。 と…

三社で割く

その新宮神社は、『藝藩通志』の当時*1にすでに「熊野新宮・八幡・三島神社」の三神を同殿で祀っていて、これに太玉神社が加わって心持ちにぎやかになった。 鳥居の扁額に神社の名が三行書かれている。 中央に「新宮大明神」、左に「三島大明神」、右に「八…

太玉神社合祀之碑

安佐南区長楽寺三丁目の新宮神社にある石碑。玉垣の奥にあって近づけない。ので、石柱の隙間から撮る。 長楽寺字船尾六八五ノ二番地ニ鎮座ノ処 昭和五年当新宮神社ニ合祀ス とある。当時の長楽寺は安佐郡安村の大字。

総じて太うございます

この隙間に入れる限り太り過ぎではない、かもしれぬ。 まあ、余計なお世話ではある。