環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

神辺駅

東のロータリーからJR福塩線の神辺駅を見る。青と白の駅舎が階段を成して二つのホームを結ぶ。 井原鉄道の神辺駅はJRとは別の入口で、北から延びる線路が突き当たるホーム。 JRの福山方面ゆきホームと隣接して乗り換えとなる。

神辺駅からの道

駅を出てすぐ、神辺城跡の山を見上げる交差点に道しるべがある。 歴史民俗資料館は城跡のさらに東にあって、回り込むように1800mの距離。 神辺本陣は旧街道の駅寄りにあって600m、廉塾は旧街道をさらに北へ。 駅前の案内地図にそれぞれ徒歩30分・10分・15分…

説明板諸相・神辺本陣跡

隣の福山藩内では、神辺本陣の建物が現存。平成十五年設置の説明板に、「現在、住宅部及び酒造関係施設の一部が消滅しているが、本陣関係施設の大部分は現存」しているとあり、屋敷の中を案内してもらえる。 その説明板を見ると、「神辺本陣は代々酒造業を営…

熊野神社横の空き地

境内の木々を見上げる場所は、海田市の御茶屋のあった所。 御茶屋跡(本陣) 所在地 広島県安芸郡海田町上市 本来は、藩主の公用宿泊施設(御茶屋)であったが、宿駅の整備・拡充に伴い本陣の役割(公家・幕府役人・大名などの宿泊所)をはたすようになった…

海田町の慰霊碑

地域によっては、霊廟に祀ったり、平和観音を据えて不特定多数を供養したりして故人を遇するし、一般的には、戦没者であれば慰霊碑の形をとる。 慰霊碑は石に限らず、塔の形に直線曲線を織り交ぜたモニュメントであったりもする。 海田町の熊野神社*1を麓か…

愛郷廟社号碑

境内は手前と奥の二段に分かれていて、下の段には鳥居とベンチと社号碑が。全体に白い場所にあって、文字の黒が目立つ。 裏面には完成の年次が刻まれているが、ここもまた昭和の上に横書きで1978を配置。 個々の字の配置・大きさが激しいというか奔放という…

愛郷廟の丸

御建神社の北西、愛郷廟*1の由来を記した石碑もまた丸っこい(正円ではないが、日章旗の据わりがいいのかもしれない)。 御建神社階段横のお知らせにもあるように、愛郷廟の対象は旧西条町(四日市)であり、 そもそも1941昭和十六年に旧西条町出身の殉国犠…

村一円の神社

その階段をあがった所の様子は石になった列を参照のこと。 向かって右手には梅の木や記念植樹*1がなされ、階段近くには円い石碑がある。 裏面に「明治四十四年十月十三日合併 坪島修一謹書」とあり、表には、合併によってはじまった御建神社内の構成が示され…

御建神社階段

社殿に向かう階段は大正6年の寄進で、 右下の柱に隷書で「石造階段一式」とある。なにやら「段」が書きやすそうな形をしている。 中央の手すりは昭和63年設置。

御建神社石垣

明治44年に西条町の神社が合併*1して、それ以降、現在の境内の構えが形成されることに。 特に目立つのが石段の左右に広がる石垣。 その石垣のところどころが石板になっていて、「神社合併移轉ノ記」という文と、「西条町神社合併移轉委員」の名簿と、 石工の…

弘化三年の石柱

その、たもとに衣紋掛けが*1置かれていない方の標柱、つまり南側。 裏面に「弘化三年歳在丙午三月」とあって、 側面には「石工 尾路*2 鳥居勘十郎」とある。 『広島県の標柱』の「揮毫者・寄進者・関係者・その他」によると、県内の標柱の中で石工の名が刻ま…

八幡橋前の標柱

弘化三年丙午*1、「本邑竹鶴伴造尚雅立」、というしめばしら。 右には「於穆神聖上下蒙福」、左には「長享利貞永世無極」。『広島県の標柱』に拠って読み下すと、「ああ穆たる神聖、上下福を蒙り」「長く利貞を享けて永世に極り無し」。 「於穆」の語は『毛…

八幡橋と陸橋

竹原市田ノ浦の礒宮八幡は、西麓の本川の方を向いている。*1 参道の始まりとなる八幡橋が本川に架かっており、渡ってすぐに国道になるので、陸橋に上がることに。この陸橋も広い意味で参道か。 標識にある「246」は県道246号竹原港線のことで、川の手前の道…

参道の稲荷橋

福山市草戸町の草戸稲荷は、赤い高楼が遠くからも目立つ。 正面に流れる瀬戸川*1に赤い橋「稲荷橋」が架かっており、堤防の道路からの参道となる。 足下は階段になっている。若干傾斜はあるけれど、すべり止めはしっかりとある。 *1:芦田川支流

参道の陸橋

佐伯区石内南のライセンスパークは、石内川の東の丘陵に造成された団地。 map:x132.381778y34.409654:hybrid:w500 北東に広い街区があって、南西部の小さめの街区との間に谷が入り込んでくびれている。 そこから団地の大通りを跨いで山奥へ向かう陸橋がある…