環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

舟唄の碑

唄の碑というと、鞆町の原漁港には舟唄の碑が。歌詞を見ると「燗」だけ振り仮名がついている。 鞆の浦バス停のすぐ手前の「安国寺下」バス停があり、まっすぐ西の安国寺に通じる。

三次小唄の碑

平成19年発行のみよし街並み歴史散歩 (三次・十日市・八次・酒屋編)の「尾関山」の項には、「尾関山の由来」「浅野家下屋敷跡」「中村憲吉歌碑」「展望台と発蒙閣」「伝キリシタン灯籠と「三次小唄」碑」が紹介されている。これまでのところ一つはかすってい…

昭和9年の明治節

高松宮日記〈第2巻〉posted with amazlet at 09.09.28高松宮 宣仁 中央公論社 売り上げランキング: 127837Amazon.co.jp で詳細を見る 昭和9年の11月01日、29歳の宣仁親王は海軍大学校に入学。その直前に広島・島根・鳥取・京都を巡っている。 2日 広島大本営…

尾関山の展望台

二層の白い展望台から望む景色は、 南は江の川と祝橋、 南東に広がる市街地は、馬洗川の向こうの十日市町に三次駅があり、 東の麓の三次町はもと三次支藩の中心地。

展望台の麓

石見台からも遠景は見えるけれども、桜の枝の合間に川が流れるような位置なので、やはりさらに上の展望台から見る方がよろしいらしい。 展望台に登る前に斜面に見えるのは中村憲吉(明治22年*1-昭和9年*2)の歌碑。 この山の 桜にむかひ流れくる 川ひろくし…

石見台の方の植樹記念碑

尾関山を登り、展望台の周囲に「石見台」と名づけられた広場がある。 ここの南縁にも同じ大正13年*1の「皇太子殿下御成婚記念樹」の碑がある。こちらは尖頭の角柱型。 一面に「明治卅二年*2三次尋常小学校卒業生組織」による「又親會」の名前が刻まれている…

大正の尾関山

三江線尾関山駅からすぐのところに聳える尾関山は、標高202m*1の丘陵全体が都市公園で、桜の名所として知られる。 現地の案内図に「大正初期、昔の城郭残塁の段を生かして広場、遊歩道をつくり、さくら、もみじなどを植えて現在に至っております。」とある。…

備後安国寺御成り記念植樹

同じく安国寺の境内。 楷の木の石碑の向かいに茂る枇杷の木。 手前に石碑があり、「昭和五十六年七月九日 安国寺 浩宮徳仁親王殿下御成記念樹」とある。 「熊谷氏菩提所観音寺跡」の石碑と同じ旅程のもの。 自分はまだ生まれてない(蛇足)。

備後安国寺の楷の木

城山の北の安国寺にも、鞆の浦ロータリークラブによる植樹の碑があり、 平成10年に足利市から贈られた二本の楷の木が枝を広げている。

城山の歌碑

同じく大伴旅人の歌碑が鞆城跡に建っている。 鞆之浦の 磯のむろ乃木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも 碑の隣にまっすぐのびる「むろの木*1」。 鞆の浦ロータリークラブによって昭和62年*2に植えられたもの。 *1:歌に詠まれた樹種かどうかは不分明ながら…

むろの木歌碑

対潮楼の麓には、ライオンズクラブの記念碑とともに灯籠や木石を配置して道路脇を彩る。 天平2年*1の大伴旅人の歌を刻んだ石碑もあり(こちらがメインか)。 吾妹子之見師 鞆浦之天木香樹*2者 常代有跡 見之人曽奈吉 *1:730年 *2:天木香樹:むろのき

文字抜粋「鞆」くっつかない革

結局は「鞆」に限らず、「革」の部首の字全体に見られることではあるけれども、地名ならではの併存状態かなと。 漢字字体規範データベースで、部首「革」の字を見ると、 http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=R%25E9%259D%25A9&ratio=0.020 さきに挙げた…

文字抜粋「鞆」旧慣用

対して、「廿」の横画二本が同程度の長さに突き抜ける字形は、比較的年季の入った看板に多い。 バス停・学校・交番等の、施設そのものの表示の場合は更新されていって、現行の「革」にあらたまるかもしれないけれど、その近隣の簡単な標示ならそのままで使い…

文字抜粋「鞆」現行字体

町並みのあちこちに掲示物が多いので、それだけ「鞆」の文字を目にする機会も増し、ならば字形の種類もいくつかあるんじゃなかろうか。 ということで、まずは一般的な「革」の字形による印刷物。 比較的新しい幟やポスターはほとんどがこの形。わざわざ他の…

街路の注意

そんなふうに「ささやき橋」は細い道の曲り口に位置するので、 「注意!!石橋に段差あり」と標識がある。 山沿いの鞆小学校に近いということもあって、 電柱に大きく「学童に注意」とも。 このへんの交通の不便さで架橋アピールありつつの、トンネル提言もあ…