環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

佐々井の三役記念碑

下根の隣の佐々井には佐々井厳島神社があり、境内に「三役記念碑」が立っている。 佐々井・勝田・土師の三大字で刈田村だったころ。 従軍者名が上の長い石だけでおさまらない。

運動場の端

元根野小学校運動場から、二つの石碑が道路に向いている。 加藤友三郎海軍大臣の揮毫で「戦捷記念碑」。台座には大正6年建立時までの各戦役の従軍者名が刻まれている。 「體操場」の土地購入と寄附を行った人の名を刻み、高田郡長の揮毫で「流芳」*1の二字。…

根野

明治22年に、向山村と上根村と下根村が合併して「根野村」ができた。その三ヶ村の範囲をあらわす名として中世の「禰村」が求められ、助詞の「の」は「野」に固定した。 昭和30年に、隣の刈田村と合併して「八千代村」となる。それ以後「根野」は住居表示には…

上根の市

map:x132.577922y34.583139:hybrid:w500 竜山神社や覚善寺のある山手のほうが「市裏」で、県道沿いの平地が「市表」。 (藝藩通志から、上根村絵図の一部) 近世後期でいうと、向山村から「三次路」が根の谷を越えてすぐのところに「市場」集落が広がり、社…

竜山神社

根の谷の手前の沼地、という上根・下根のあたりは中世には「禰村*1」と書かれた。 「国郡志御編集ニ就テ下調郡辻書出帳」*2(文政二年)に、「古蹟 古墳 名勝」として、「上根村下根村 大沼深田往古八岐大蛇をる所」とある。 国道54号の畑入口バス停から千代…

簸ノ川(ひのかわ)

「の」を含む地名では、「簸川」「簸ノ川」「簸の川」といった揺れがでてくるのが定番。 「簸川」は八千代町の中心を流れて吉田町で江の川に合流する。上流域は河川争奪で根谷川に移り、総長7.18km。 古くは「上根川」や「沼川」と呼ばれた。 『藝藩通志』で…

根野地区土地改良記念碑

八千代町のうち南部の向山・上根・下根が根野地区(旧根野村)で、簸ノ川流域に湿田を抱えていた。 上根村 (略)村中地高けれど、多くは、渟田なり、中にも、横田新田國王などいへる所は、泥濘尤深く、其底測がたし、土人耕作に苦む、俗傳に、此邊昔は大澤…

下根集会所附近

下根バス停のあるそのあたりは、集落の中心部ということで、記念碑が並んでいたり、山城の登山口だったり、 大きめのゴミ置き場が設置されていたり。 国道に面しているので、ストリートビューで見ると 背面の掲示板がこちらを向いている。その隣に警鐘台。

下根の警鐘台跡

可部から北へ、根の谷を越えて下根*1。 ここの場合は警鐘台中央に寄附者の名を刻んだ石碑が立つ。 奥には水準点。 簡単地図作成サイトで示すとここ。 *1:安芸高田市

折目の警鐘台

太田川北岸の可部盆地。旧国道の途中、道路を直角に曲げる折目には昔からの胡子神社あり、近代には安佐郡役所と同じ区画という、町の中心地。 胡子神社の斜め前には警鐘台跡が残る。「株式会社 可部貯蓄銀行」の文字。明治29年創業で大正10年に可部銀行と改…

八木町の警鐘台

太田川を下って安佐南区八木町渡場。太田川橋より手前の用水路沿いに警鐘台がある。 立て札に「チャップリンの秘書 寄贈 高野虎市氏 警鐘台跡」とある。 対岸の可部の町並み山並みを背に、鷺が通り過ぎたりする。

低めの鐘

太田川に架かる安佐北大橋のつきあたり、柳瀬八幡宮の脇に鉄の骨組みが見える。 標語の看板の方が目立つけれども、突き出た腕が小振りな鐘を吊り下げている。 角に立つ石碑をみると、昭和八年拾弐月二十三日、皇太子殿下*1御誕生の奉祝の意。(こどもの日だ…

下石の警鐘

志路原川に沿う国道433号。 下石中央バス停と下石上バス停の間のあたり、「とよひらフラワーロード」という札の立っている隣に高くそびえる警鐘。 道路向かいには水田が広がる。

千光寺「驚音楼の鐘」

岩場を抜けて、千光寺境内の眺めの良いところにある鐘楼。平山郁夫「しまなみ海道五十三次スケッチポイント」のひとつ。 鐘の特徴として、乳のかわりに真言が配置されていることが書かれていたり、音の風景百選に選ばれていることが書かれていたり、 「鐘を…

尾道観光俳句

金田一京助の文学碑そばの「一句およみ下さい」の案内は少し古めで、「投句箱設置場所」として 「千光寺ロープウェイ頂上乗場・千光寺鐘撞堂・浄土寺・西国寺・尾道駅」が示されている。「選者 有名俳人数名」とあるので汎用性はある。 現在の要項、 尾道観…