環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

千貫水の水質保証

もちろん当時の石碑周りとは道路も設備も様変わりしていて*1、相応の管理ができる状態に復興*2されないと実用にならない。 水汲み場のそばに、平成17年の水質分析結果が掲示されている。(委細は置いといて) 入り口の立て札に「一年に一度水質検査をしてお…

千貫清水の碑

「弔古誌」は、その冷泉の記述に続けて石碑の銘文を紹介している。 道端ニ野面石ノ表ニ此下川岸ニ千貫清水アリ翠木臨山岸、石泉湧清冷、人間炎暑苦、一掬熱初醒 裏ニ文化八年夏日三上輝親三上安秀トアリ 訪問時には真新しい石碑だったようで、今目にする碑文…

川に注ぐ水

水汲場のすぐ目の前は川原で、周囲は竹薮。 上甲立村の「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」(文政三年完成)*1は、この冷たい湧き水をこうあらわした。 甚だ冷泉にて夏日川魚相はなち候へば忽ち身を返し一向いきおよぎ得申さず候 それをもとにした『芸藩通志』巻…

千貫水の湧くところ

甲立洞門の南、54号沿いに駐車スペースがあり、大きな字で「千貫水」を案内する看板が立っている。 そこから階段を下りたところに水汲み場が整備されている。 平成18年設置の千貫水保存継承の会による説明がある。 「五龍山」の由来という龍王の勧請と結びつ…

道の下の川

そのようにして峠を越えないルートが新たな往還として整備される。すぐ下に大川(江の川)を見下ろす当時の姿は、勿論今のような堤防の護岸もなく、智徳橋のような長大な橋もない。 一、本往還道 西下小原村境より北下甲立村境迄十二丁五十九間、 当村の内峠…

三次往還の新旧

三次路などと呼んでいた頃は、洞門やトンネルはもちろん無いにしても、江の川ぞいの五龍山麓を通るのは同じで、近世でいうと吉田村・下小原村・上甲立村・下甲立村を経由していく。 それもまた近世の道としては新しい方で、 一、土地古今変成之事 五龍山在城…

洞門の外

川上から洞門を見上げると、コンクリートの柱が密集していて櫛比*1。 歩道は柱の外にあり、庇の上では雑草が見下ろしている。 学校の廊下よろしく、コンクリートの隅には燕の巣。 *1:みししっぴ

甲立洞門

国道54号が五龍山の東を通るあたりから甲田町の中心部への分岐となる。 目的地としては「三和(Miwa)」が示される。「松江」「三次」とともに更新したような形跡。 その分岐の直前には「甲立洞門」が連なる。地図上*1では斜線で覆われる「建物類似の構築物」*…

甲立の54号からの分岐

そんなふうに、甲田町内の国道54号沿いでは果物の看板があったり直売店があったりする。 トンネルの南、広島・吉田方面から甲立へ向かうあたりで、ドライブインで停車した人向けのような小さな看板があり、甲立駅より東へ抜けて三若方面の観光農園へと案内す…

立掛けたり括りつけたり

車道から見えるような位置で、電柱に看板をたてかけ。スピードを落としつつ特産の果物をどうぞ、という(ちょっと違う)。 地図つきの道路工事の看板は幅広なので、細い柱でも安定するように括っておく。 括るものが看板より低い場合もある。 自立していて立…

括る支柱

道端の目立つところに立っているから、イベント時の看板設置場所にも丁度よい。 筆の柱もカーブミラーも、看板を括りつけて凭れかかるのに大変便利な振替納税。 関連 http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20091216/1260976841

筆の道しるべ

その稲荷橋のたもとには、所在地「萩原」を示す筆型の柱が立っていて(選挙ポスターが背後にあるのでそれをよけてトリミングしたり)、 その裏には「初神」「城之堀」への方向が示されている。 納税や選挙などの標語を載せながら、町内の各所に同様のものが…

川とガードレール

そんな感じで、県道の幅よりも狭い支流を跨ぎながら西へ南へと。 追分バス停あたりでは「大迫川」を過るが特に橋は無い。 下初神バス停あたりで「三谷川」を越えるのは「御前橋」だが、橋の名を見かけなかったような気がする。 下庄賀地バス停の手前あたりで…

新宮橋

榊森神社(新宮)の山の西麓に「雲母川」が流れて熊野川に合流する。「文化度国郡志 熊野村」*1に、清水の一つとして「雲母山」から湧く水が挙がっている。 一 清水 当村新宮原毘沙門堂傍ニ清水御座候、此水霊水之由申伝候、又雲母山ニ至而宜敷水御座候、是…

海上川・海上側

護岸整備された海上川は水量の少なさが目立つ。 村界橋を過ぎた所の県道沿いに「地名 海上側」を解説する看板があり、 海上川の熊野側の平地を「海上側」と呼ぶことについて、「紀州の熊野と本町の間に、相似点が多く見られる」として、「新宮」の位置すると…