環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

埃ノ宮神社

「可愛学校」バス停から広島方面へ進むとまもなく「宮の城」バス停。 吉田の大字のうち、山手・川本・中馬がいりくんで接しているあたりで、国道と江の川の間にこんもりとそびえている小山に「埃ノ宮*1神社」が位置する。山は川本に属し、西方の中馬の谷から…

可愛(えの)

吉田の市街地の南隣、江の川の西岸上流方面は「中馬」「川本」「山手」「常友」「常楽寺」といった旧村があり、明治22年に合併して「可愛村*1」が発足した。こうなると「可愛」は「え」ではなく「えの」に固定することになる。 さらに昭和4年に川向かいの高…

千七百日目

可愛川・江の川

そんなふうに、「多治比川」よりも古い呼称として「稲田川」が重要視されていて、同じ文脈で「可愛川」も神話に由来するとする以上、「ごうのかわ」などよりも古く正統なものと位置づけられている。ただ、村々の川の名前としてはまだ使われていない*1。 前項…

多治比川の稲田橋

国道54号の東、商店街から伸びる道にあたる「稲田橋」は赤い。 案内図上でも欄干を目立たせている(実際は反った形ではないけれども)。 近世後期にも規模の大きな板橋として知られていて、「吉田十二景」*1のうちの「稲田橋納涼」に選ばれている。吉田村の…

西浦の色

吉田町の西浦にサンフレッチェの練習場があるので、 吉田サッカー公園 その谷筋を流れる「西浦川」に架かる「二反田橋」や、多治比川に架かる「研屋橋」の欄干は薄い紫色。

多治比川下流部

吉田の街の南東部で江の川に合流する多治比川は、吉田の北西部、多治比の山奥を源とする。 市街地近くで合流するのは後相合川*1で、その先に吉田運動公園*2が隣接する。 公園の片隅に、川を背にして頌徳碑がある。甲立村(建立当時)出身の素封家日野洋曹が大…

吉田の落合河原

多治比川が江の川に合流してすぐの所の堤防。 河川敷にグラウンドがあったり、堤防上の道がウォーキングコースであったりする中で、川を背にして史跡案内の説明板が立っている。 落合河原の「いろは石」について、弘法大師*1が河原の石にいろは四十七字を書…

安芸高田の江の川

高田郡内の『国郡志御用に付下調書出帳』*1では「吉田川」の名は見えず、ほとんどは「大川」となっている*2。吉田村の場合、見出しは「大川」で「一名江ノ川*3」と付記されている。 それら諸村の資料を元に高田郡全体をまとめた『国郡志御編集ニ就テ下調郡辻…

三次に注ぐ吉田川

『三次市史4』と『高田郡史資料編』に依りつつ。 現在の「可愛川(江の川)」のことを「吉田川」と書くのは、上川立・下川立・上志和地といった三次郡の村々に限られ、対岸の秋町・深瀬・下甲立、上流の上甲立・高田原といった高田郡の村々では「大川」や「…

川立の永屋川

永屋川は、上川立の南東部の谷から北西に向かって流れ、上川立駅の北をよぎって可愛川に注ぐ。 上川立駅内に「上川立中自治会MAP」という、明るく見やすい案内図が掲示されていて、 上川立中自治会 - 川地地区連合自治会 内の「上川立観光地図」のページで見…

深川橋の東

あまり幅の広くはない橋を過ぎると、円勝寺の前を通る下り坂が幅広になりつつ県道と接する。県道にはオレンジのセンターラインがある。 県道37号は三次市秋町から広島市内(平野橋東詰)を結ぶ。主に芸備線と並行する道。 すぐ右手には永屋川を渡る「新永屋…

可愛川の深川橋

「深瀬」という村名の由来について、同村の『国郡志御用につき下調べ書出帳』(以下、『下調帳』)は不明としている。*1 『角川日本地名大辞典』が「地名は河に由来するものか」というように、その地域の地形の特徴からいつのころからか発生したもののようで…

日野氏紀徳之碑

深瀬交差点をさらに三次方面へ。左手に枇杷の木が茂り、国道に面して記念碑がそびえている。 題字「頌徳碑」は浅野長勲*1により、文とその書は塩谷温*2による、当地の資産家日野易造を称えた記念碑。先祖の武将のことに始り、京大や欧州視察などなどに触れら…

深瀬バス停の辺り

上深瀬の次が「深瀬」バス停。これもそれと知らなければ読めない状態で、三次方面側には庇が無い。 国道はずっと直線が続きつつ北東への上り坂。 「深瀬」交差点の手前に、乳団子の看板が立っている。その上にはRCCラジオの周波数「1458kHz」の案内がある。…

下甲立バス停とその前後

その谷尻橋のすぐそばにはバス停があり、十分なスペースが確保されている。 青い文字が三つ、消えかかっていて見当がつかない*1。 その前後のバス停は、同じタイプの「上深瀬」と新しめの「道木」。 ここを通る路線は備北交通の一日五便なので、 備北交通株…