環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

安芸国分寺の仁王門

西条駅から北東へ徒歩七分ほど、西条町吉行*1に「金嶽山常光院史跡安芸国分寺」が所在する。その周辺には安芸国分寺跡の史跡公園が整備されている*2。 安芸国分寺 安芸国分寺のサイトでは、「国分寺の歴史」「国分寺の文化財」「発掘調査・出土品」という順…

福王寺の仁王門

福王寺(安佐北区可部町綾ケ谷)の仁王門は麓から十三町のぼったところにあり、観音坂・不動坂からの入口にあたる。 仁王像の前にそれぞれ石柱がある。 かべの町かど・メインメニュー の「有部律再興記念の石柱」によると、左が「大界外相」右が「不許葷酒内…

大聖院の仁王門

寺院の門は草鞋と千社札がつきもので、大聖院の仁王門も同様に。 仁王像に挟まれた門内に扉があり、開門時間が午前8時から午後5時までであるとの注意書きがある。伽藍の参拝自体はそれより少し長く、時期によって幅がある。

弥山仁王門跡

二王門 金剛力士、二駆を置く、是弥山十五町目なり、是より上は、未時後ハ、登るべからず、 『藝藩通志』巻十五 という弥山本堂の入口にあたる仁王門。今は礎石が残るのみ。平成16年の台風により倒壊し、仁王像は大聖院の霊宝館*1に収められた。 人と神々が…

山頂周辺の道しるべ

御山神社参道へと分岐する道には、三方向を示した道しるべがあり、奥の道を「御山神社」とすると、右手は「大聖院」「駒ケ林」方面へと下りる道。左手は「ロープウェー」「三鬼堂」方面への道であり、大元や大聖院から登ってきたのであれば、三鬼堂だけでな…

御山神社の前身

弥山の山上の御山神社も三棟の社殿を持つ。神仏分離によって三鬼堂が移され、厳島の三女神を祀る「御山神社(Miyama-Shrine )」となる。 厳島の神仏混淆を本来の姿ではないとみなす態度は、すでに黒川道祐『芸備国郡志』(寛文三年以前)にあらわれている。…

厳島の山王社

現在の「三翁神社」は神仏分離より前は「山王社」といった。 立て札にぎっしりと書かれているのは「御祭神」と「由緒」。 青銅の鳥居の奥の社殿が三箇所。中央と左殿と右殿それぞれに複数の祭神の名が連ねてある。 天保13年刊行の『厳島図会』*1には、9月23…

旧暦二月初旬の厳島

CiNii 論文 - 福岡女子大学附属図書館蔵『東路日記』翻刻・解題(上) 小田宅子『東路日記』のはじまりは天保12年閏正月16日。筑前国芦屋の里を出発し、赤間関・浅市・小郡・山口・宮市・室積・上関という道筋をたどっている。音戸を訪れる前に「宮島」に四泊…

音戸の海路

渡し舟 昭和36年に音戸大橋が開通するまでは、当然ながら音戸・倉橋へわたるには船によらなければならなかった。現在も随時運行。 昭和8年*1の『呉軍港案内』*2に音戸の瀬戸も紹介されており、「警固屋海岸の鍋波止場から、音戸町へは渡し舟がある」とあるだ…

呉から音戸へ

清盛塚の少し南に呉市営バスの「清盛塚」バス停がある。呉駅前と桂浜を結ぶ「呉倉橋島線」(波多見経由)と音戸町内循環の「さざなみ」が停まる。呉倉橋島線は桂浜が終点になる前は「重生・室尾・鹿老渡方面行き」と表示されていた。 呉市営バス(呉市交通局…

伝清盛塚の飾り

昭和26年指定の、県の史跡としての名称は「伝清盛塚」。その塚の発端ははっきりしないにしても、ながらく平清盛と絡めて伝えられてきたという、意味づけの蓄積にも意味がある。陸地側手前にある「改修記念碑」も遺跡そのものではないにせよ、顕彰がなされた…

清盛塚と松

同じ案内図中の右隅に吹き出しがあり、「清盛塚」が音戸大橋のそばにあることが図示されている。 そのあたりは、平清盛像や光田庭園展望台あたりからはかすかに松の木が見えるような位置にあり、人工で開削したとの伝説を思わせるような陸続き感が得られる。…

音戸の瀬戸公園内の花木

そういった銘木の造形を展示する場所のほか、公園全体には桜の木が散りばめられ、麓に近い区域には「ツバキ園」や「ヒラドツツジ」がまとまっていたりする。 駐車場付近に「明治百年記念 警固屋婦人連合会」「つつじ百本 昭和四十二年六月寄贈」の柱があり、…

光田庭園(高烏台公園)

音戸の瀬戸公園の案内図には「光田庭園」という個人名を冠した区域がある。上の清盛像とは遊歩道で結ばれていて、二重の塔やあずま屋形の展望台がある。 車道からの入口には「高烏台公園」の名前が石に示されている。「烏」の上部の四角が大きめなので「鳥」…