環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

八幡川の河口

太田川水系の八幡川は新己斐橋の南で放水路*1に注ぐ。 少し錆の見える「八幡川水門」の名標が太田川放水路下流向きに付いているので、堤防上の道路を北進する車に名前が周知されているのかもしれない。わざわざ見ないかもしれない。 水門の外は河川敷の広場…

観光橋

西広島駅の南、己斐本町を流れる八幡川は太田川放水路に注ぐ。 合流点近くではいくつもの道路が川を横切るので橋が連続する。その中でも「觀光橋」はとくに幅の広い車道と歩道。「光を觀る」。 親柱の石材に直接刻まれた橋名は「くわんくわうはし」とある。…

かんのんだったりかんおんだったり

西区の「観音」は「かんおん」であるという慣用でありつつも、その由来となった「観音院」は「かんのんいん」であるし、国道2号に架かる「観音陸橋」には「かんのんりっきょう」のプレートがあったりと、連声を強く禁じるわけでもない。 佐伯区五日市の旧「…

かん おん

これら天満川沿いの「観音町」の読みは連声せず「かんおん」で定着している。 住居表示の札(本体が外れてたけれど)にローマ字表記があり、「Kan-on-shin-machi 4-chome」のように「-」で区切りが示される。 国道沿いの表記では「Minamikanon」のように連続…

観音新町(1〜4丁目)

黄魂彦神社の最寄りの停留所は「西税務署入口」(神社の東に税務署があるので)。 昭和大橋と庚午橋を結ぶ道を境にして河口側に「観音新町」が一丁目から四丁目まである。1丁目と2丁目のバス停はその北辺をなす東西の道路沿いに、3丁目バス停は「総合グラン…

広島市の觀音村

広島市の「観音町」は大正11年からの呼称で、それ以前は「村」。沼田郡の観音村が広島市の大字になった明治22年以降も含めて「村」が続いた*1。 黄魂彦神社の県道に面した側に石碑が林立していて、外側に裏面が向いている。そのうちの「凱旋碑」(大正3年)…

観音沖

その昭和6年の狛犬奉納は「觀音町沖西」の「眞友會」によるもので、当時の広島市の町名のひとつ「観音町」のうちの「沖」(河口近く)をさらに区分けしたうちの「西」の人たち。 大正3年の石鳥居にも青年団の名として「觀音沖」が見える。妙に格好の良い書体…

いろはソート

階段下にある社号碑「吉島稲生神社」の裏面には「奉寄進」とあり、何人かの名前が二段にわたって刻まれている。その並びは「いろは順」と明記。 西区観音新町の黄魂彦神社の狛犬台座でも、「イロハ順」で発起人の名が連ねられている。(昭和6年) 現代に敢え…

天明七年の石灯籠

社号碑・階段・灯籠・由緒・鳥居と、参道入口脇には新旧の石造物がところ狭しと連なっている。 その中でも古いのは、「奉寄進」と刻まれた石灯籠*1の天明七年*2。「神社の由来」にもあるように、空鞘稲生神社から分祠した始まりの年。 竿石の裏側に「丁未 天…

ヤブツバキを筆頭に

細長い境内の最前にあるヤブツバキの幹に「被爆樹木」の黄色い札が取り付けられている。 「クスノキ、エノキ、クロガネモチ、クロマツ2本とともに1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え」というふうに、境内の他の被爆樹木もひとまとめにして紹介している。…

吉島稲生の境内

本川の東、吉島西には「吉島稲生神社」が、ここも江波と同じように市街地の中の微高地を境内とする。 細長い境内の奥に拝殿と本殿が位置し、その間の左手に楠の大木(広島市指定保存樹)が根を張っている。ここも木の立て札があるけれど、記述に樹木のことは…

境内の榎

民家に囲まれた聖山稲生の境内には、「義勇奉公」以外にも石碑がところ狭しと並んでいる。その合間にある木々も小振りで、上から花を見る。 それらの向かい側、社殿の右手には榎の古樹がある。 木の立て札は神社名と祭神を中心に載せつつも、強調しているの…

江波村の従軍者名碑

江波港近くの市街地の中に聖山稲生神社があり、こちらの境内にも「義勇奉公」を大書した石碑が立っている。階段下の道路からはフェンス越しに尖った頂部が見える。 明治39年の「廣島市江波村中建之」で「陸軍少将正五位勲三等功四級摺澤靜夫書」が正面に刻ま…

左右対称のなかの「義」

可部護国神社注連柱の「義」は現在も一般的な「羊」+「我」の形。境内に移されている従軍者名碑にある「義勇奉公」の場合、下の部分が「豕」のような形で連綿する*1。 福山城公園の備後護国神社には「義勇奉公」「威烈光華」の語句を刻んだ注連柱がある。明…

浅野長勲の「經」

注連柱に「君臣義經久」「情同父子親」とあるのは、高松山の麓、根谷川の東岸に位置する可部護国神社の参道。つい「よしつね」と読みそうになる。 石鳥居と同じく大正八年の奉納で、「従一位侯爵淺野長勲閣下書」とある。「經」の字の「く」三本は軽い直線で…

正門の旧字

正門脇の壁には大学名「廣島經濟大學」(と英語表記)と理事長揮毫の「以和為貴」の字が目に入る。後者は建学の精神だそうな。 建学の精神・教育理念|広島経済大学 「広島」にしても「経済」にしても「大学」にしても、普段目にする機会の多い簡単な単語で…

広域避難場所としての構内図

広島経済大学に限らず、学校の校庭や建物全体がいざというときの避難場所として指定されているので、「広域避難場所」の範囲*1を示す案内図はそのまま学校構内の案内図にもなる。 施設の名称と形状が事細かに表示される。絵地図状の案内図の方では省かれてい…

大学の広い構内

国際学院大を訪れたのは、おととしの伊能図関連のイベントのときだったけれど、駅から巡回バスが出ていたので、正門まで徒歩7分の実感は無く、さらに奥のグラウンドへと乗り入れていた。*1 山の上に位置して広大な敷地をもつ大学というと、経済大学などが連…

中野キャンパス

中野東駅から北へ上る道は広島国際学院大学の道。川向かいの国道2号からも白い建物群が山の中腹に見える。 駅に看板があり*1、徒歩七分とある。正門からさらに坂道を行くことになるけれど。 旧称が「広島電機大学」なので附近の電信柱に「電大」の名が見える…

中野東の通りの名

山陽本線の中野東駅から南東へ、瀬野川に架かる平原橋へとまっすぐの下り坂がある。 橋のたもとに中野東小学校があり、その西門に面した通学路でもあるので歩車分離は当然はっきり設けられていて、歩道脇の外壁は各種学校行事の壁画で彩られている。 壁画の…

安芸長束駅前の

市内中心部の通りに比して規模の小さな道であっても、駅の前に商店が立ち並んでいる通りなら「駅前通り」であるし、かつてその地域のメインストリートであったという意味で「本通り」という呼称も目にすることもある。 安芸長束駅の北に接する東西の道があり…

「通り」

バス停名では「本通り」であったり*1、さきに見たフタバ図書本通店の宣伝ページにも「本通り」の表記があったりする。 「通」を「つう」ではなく「とおり・どおり」と読ませるための捨て仮名「り」だと考えれば、例えば「本」だから、「城南」だから、「通り…

それもデオデオ

その本通との交差点のさらに南、こちらももとデオデオ*1であった建物がアニメ関連の店が移ってくるとかで、今は準備中か、窓の中の宣伝以外はのっぺりと白い。 掲示されている案内図に、旧店舗から新店舗への道筋が矢印で示されていて、その途中で「本通アー…

本通との交差点

現在は通りの入口も「EDION」のロゴに変わっている。前よりも青色の割合が増えて両隣の建物角にも連なっている。 通りを南へ進むと、最初の信号機は本通との交差点「紙屋町2丁目」にある。本通のアーケードが続いているので、赤信号に気付かずに*1渡りそうに…

紙屋町西交差点

「広島中郵便局南西」の東には「紙屋町西」交差点があり、こちらは大手町の背骨のような南北の通りと接する。東が紙屋町で西が大手町。 昨年5月の写真では「紙屋町 大手町 DEODEO」のゲートが入口を飾る。現在はエディオンの本館と新館に挟まれる位置。 歩行…

旧から跡へ

新球場ができてあちらが「広島市民球場」になってから、もとの球場建物が残っている間は「旧広島市民球場」の表札があった。中で展示もあったり。 球場南の電車通。球場跡と郵便局の間の道との交差点名は「広島中郵便局南西」に。跡地の用途次第でまた変わる…

図録の一覧を見つつ

その郷土資料館の刊行した図録・報告書の一覧を見ていると、いつごろどんな展示があったかの大体が分かる。展示を見たけれど刊行物がない場合や、展示は見たけれど買いそびれた時や、展示そのものは見ていない図録を後で買ったり。 一覧によると平成21年はじ…

広島市郷土資料館「干潟の恵み」

現在開かれている企画展は 企画展「干潟の恵み 〜カキとノリの物語〜」 で、3月24日まで。牡蠣・海苔の養殖の技法についての解説は常設展示にもあるので、そのフロアも企画展の会場に含まれる。それに加えて写真や文書や絵画資料などによって、干潟が多かっ…

ニ丁目の御幸通

御幸通を通る路線バス(広島駅方面〜広島港方面)のバス停は、「宇品御幸」の丁目にあわせて一丁目から五丁目がそれぞれ置かれているが、それだけで済む間隔でもなく、二丁目と三丁目の間に「御幸2丁目南」がある。*1 「御幸の杜」にとっての最寄りの停留所…

二丁目が並ぶ

郷土資料館のサイト内に 郷土資料館への行き方 : 広島市郷土資料館 のページがあり、地図と主要交通機関が示されている。 普通自動車はさておき、広島駅・市内中心部・広島港の三方向からの手段として電車・バス・タクシーが例示される。 最寄りの停留所は電…