環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

仁保橋東詰

「竣功 昭和39年8月」とあるのは、猿猴川に架かる仁保橋の東詰。普通の橋ではこの部分は見えにくいところ、橋の下を地下道が通っているために昇降の際によく見える。 東詰のすぐ北で府中町と広島市南区の境となる。

南口の碑

南口ロータリーには細長い緑地の区画があり、「向洋駅前緑地帯竣成記念」の石碑がある。昭和38年の建立。 南口しかなかったころには「駅前」で事足りた、ということであるけれど「南口」と呼ばなかったとも言い難いうえに、「北口」が出来た途端に南口を「駅…

向洋駅と踏切

向洋駅のすぐ北にある踏切が「青崎第10踏切」で、巡回バスの経路。さらに北には「鹿籠踏切」。そこまでが放置自転車規制の区域。 5.向洋駅周辺地区の問題と課題 | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町 駅周辺の区画整理の理由の中に「踏切によるラッシュ時の…

高架化の前に

北口は南口より簡易なつくりとはいえ、手すりつきの階段とスロープをそれぞれ備えている。 一時期のような「車いすで電車に乗られるお方は、このインターホンで駅員にご連絡下さい。」という移動のしにくさはなくなっているが、区画整理事業の大看板が示すよ…

向洋駅北口

JR向洋駅に北口改札新設へ - 中国新聞 という記事が書かれたのは平成22年9月。駅北口の新設が「2012年度に設置するとした計画を2年間前倒しする」ことになったため、完成したのは記事翌年の3月。 21年夏に青崎第10踏切を通りかかったときは、「向洋駅…

青崎

広く「青崎」というと、南区(旧仁保村)と府中町にまたがる旧「青崎新開」の一帯をさす。 府中町の南端部には「青崎東」「青崎中」「青崎南」がある。南区には「青崎1〜2丁目」と「東青崎町」があるので、青崎の北に青崎南が接することになる。 向洋駅は青…

府中の南

神社の表の道路には「府中南公民館」バス停があり、町内の循環バス「つばきバス」が通っている。 つばきバス | | ひとがきらめき まちが輝く 府中町 循環バスは新幹線を中間にして町内を8の字に回る。南部では東西に青崎東住宅・府中南小学校・府中南公民館…

鹿籠の桃山

向洋駅北東の丘が鹿籠山で、現在の鹿籠1丁目・2丁目よりも広い範囲が「鹿籠」だった。 公民館や鹿籠神社の位置するのは「桃山二丁目」。昭和50年に現在の編成の1〜2丁目の住所表記となる。

玉垣と橋

鹿籠神社がその地に移されて二十五周年に玉垣が奉納されている。 その場所柄、個人の名前以外の企業名も多く連なる。外からいちばん目立つ位置に東洋工業の名。 参道内の池に挟まれた部分では、石橋の欄干が玉垣と一緒に柵の役目を果たす。

鹿籠の篭

現在地に「鹿籠神社」が建てられたのは昭和29年。前身となったのは鹿籠(こごもり)地区に祀られていた「辨才天」「厳島姫命」「稲荷大神」で、多家神社境内社に合祀されていたのを地区内に分けたのが大正7年。 社号碑は昭和29年で「略記」は昭和53年。昭和5…

干支は上に

拝殿手前の石灯籠は、「奉寄進」を正面とすると、両側面に「丙天保七年」「申三月吉日」との紀年銘がある。 西暦でいうと1836年の「丙申」が、2行の上で横書きになっている配置。 参道からは「申三月吉日」だけが見えるわけでもなく、対の灯籠で反対側を補…

立て札と石灯籠

府中町の鹿籠神社は府中南公民館の奥に鎮座する。 石畳の参道は途中で左へ曲がる。入り口近くと曲がり角と、拝殿手前と、均等に石灯籠が配置されている。 「危険ですから石灯籠に触らないでください」 という立て札がどの灯籠にも添えられている。無造作な置…

火袋の末

その先の階段脇にも多数の石灯籠が控えている。 火袋の石を木枠が囲む右側と、線刻のみの石が火袋として置かれている左側の対に始まり、 火袋そのものを失った状態で安定しているもの多数。

石灯籠と社号

その手水鉢の先にはまず石鳥居があり、その先に石灯籠・注連柱と続く。 「文政六癸未年」とあるのは左右とも同じで、右方前面には「大明神献燈」、左方前面には「荒神社献燈」とある。

城跡入口の舟形

神辺城跡に駅近くから登る道は、入口に真っ先に手水鉢が突き出している。 舟形の鉢が舳先を麓側に向けて置かれ、まっすぐな線で「昭和三年十二月 献 上組氏子中」とある面が参道を向く。 灯籠が文政で、注連柱と鳥居が明治と、入口の石造物の中では新しいほ…

手水鉢の台

氏神社の所在地は西条町御薗宇で、 西条町吉行の「石清水八幡」は四日市などの西条中心部の氏子によって祀られている。 境内西側の木立の間に手水鉢がある。鉢そのものは舟形で、舳先が社殿の方を向いている。字を刻む平面がないからか、下に置かれた竿石の…

氏神社の手水鉢

西条のブールバール沿いの氏神社。 随神門をくぐってすぐの左手に手水鉢。 平たい正面に大きく「献」。紀年銘や「四日市住 石工」*1の刻字もみな正面にある。 背面も平たいので水管もまっすぐ立っている。 *1:石工の名は玉砂利に埋もれている

享保の手水鉢

榊山神社と熊野本宮の社殿の間には境内社が並ぶ。 諏訪神社の鳥居を構えた先には「諏訪神社」と「榊山神社」。諏訪神社は熊野中学校拡張によって現在地に移る。移転前の所在地も「八幡山之内」*1 階段手前にある手水鉢は正面も上面も平たくて、遠目には水を…

明治9年の手水鉢

榊山神社の参道は八幡山の麓から始まる。道路を挟んで石灯籠と注連柱が並び、二基の鳥居は「八幡宮」「榊山神社」の額を掲げる。 参道脇にある手水鉢は明治9年の城之堀区の人による奉納。正面の語句でよく見るのは「奉献」や「浄水」だけれど、ここでは「五…

榊山神社手水舎

八幡山の榊山神社の手水鉢は参道脇に「奉献」の面を向ける。 昭和53年に建てられた手水舎が包んでいるので、四周を巡る空間に余裕がある。地元大工による建設なので「城之堀庭」「出来庭」という町内の地名があらわれる。 側面の「世話人」の刻字の一部が水…

注連柱の背後

熊野胡子神社の注連柱の語句は「国家安穏五穀成就」「一家団欒鼓腹撃壌」。四字熟語としてはとくに珍しくないが注連柱の語には珍しい、そんな語句が四つ並ぶと、取り合わせとしてもなおさら珍しくなる。 その背後のスペースにぴったり収まっている手水鉢。 …

胡子神社の芳名

同じく熊野町。中溝の街中に「熊野胡子神社」が祀られている。 奥行き一杯の社殿の脇にある拝殿改修の芳名板は内側を向く。当然ながら拝殿内に掲げられた芳名額も内側、賽銭箱の奉納者も注連柱の奉納者も内側からなら見える向き。 大正15年2月の寄附者芳名は…

貴船神社拝殿

廊の右脇にある横長の石碑は「貴船神社拝殿修復寄進者御芳名」で、平成19年の拝殿修復への寄進者名が連なっている。 それとは別に脇の石柱に「屋根瓦葺替」がなされたことも示されている。 修復部分の新しさは木材の色の違いでよくわかる。内側では明治大正…

貴船山の貴船神社

熊野町川角の貴船神社。*1 水害を避けるため現在地に移されたのが寛文3年。八幡神社でありなおかつ高龗神を祀る。 広い平坦の真ん中に社殿が建っているので、背後に山が迫る立地と違い、本殿の後ろにも回りこめる。石垣近くにある椅子は本殿の茅葺屋根で雨を…

琴山神社の段差

吉田町の東部、外堀川*1のさらに東の山懐に鎮座する琴山神社。 坂と階段の先にある段上には神楽殿や石造物があり、拝殿も同じ段に乗っているけれど、床の位置がさらに上の段の高さに合わせてあるので、床下が広く階段が長い。 もとは木製の階段で拝殿に上が…

花山神社の石

甲田町の花山神社は国道54号に面した山の麓に位置する。浅い奥行きの緩斜面に構えられた石垣が二ヶ所の段をつくる。 社殿と石灯籠のある奥の段と、下の狛犬の段。石造物の台石も階段も、石垣の石と一体感がある。 社殿を囲む塀は特に無いので、床下も土台の…

常盤神社の段

同じく八千代町の常盤神社(勝田)は背後に砂防堰堤の連なる傾斜面*1。 坂道の参道の先には拝殿のある段に上がる末広がりの階段。 奥にはさらに二つの段が社殿左右に石垣を広げる。ここもまた本殿を囲むのはブロック塀。 *1:常盤神社の谷 http://d.hatena.ne…

佐々井厳島神社本殿

佐々井厳島神社*1は山の麓の平地を境内とする。 本殿だけは背後の斜面を石垣で固めた上にあり、拝殿の屋根の高さほどの位置に台がせり出している。 本殿を囲むのはブロック塀で、左の隅に水を抜くパイプが突き出ている。 *1:http://d.hatena.ne.jp/kanototor…

倉稲神社跡

本現寺川近くの上佐々井、路傍に椿が一本立ち、小さな石垣の上に五輪塔などの石塔がびっしりと並んでいる。 狐ヶ城の案内と同じように、木製の角柱は昭和53年の設置。「御祭神」など書かれていた面はほとんど剥れている。 『ふるさとめぐり 伝説を訪ねて』(…

昔の角柱

旧八千代町のほうぼうに見られる細い木の角柱。道路の脇に標語の載せて立ててあったり、 史跡の「狐ヶ城」への道しるべになっていたりと、場所をとらない目印になっている。 「昭和五十三年」に立てられたものはボロボロになりつつも、かろうじて文字は読み…