環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

囲まれたエレベーター

広島駅南口はずっと工事中。工事箇所の変化に合わせて通行可能区域もくねくねとその輪郭を変える。 kanototori.hatenablog.jp 2階改札口から南へ下りる正面の階段は通行止めで、東側の階段とエスカレーターに昇り降りの人が列をなす。 西側のエレベーターは…

工事エリアの奥行き

向洋駅北口の旧駅舎は海田市駅寄りにあって、上りホームにくっつく位置なのでその両脇は工事エリア。 工事エリアとともにフェンスで囲まれ、旧駅舎は閉鎖していて仮駅舎が100m先にあることが案内される。 さらに先の踏切には工事エリアの線路も含まれるので…

仮跨線橋と北口

3月27日から使用開始の仮跨線橋と北口仮駅舎。駅舎は広島方面寄りの位置に移り、工事区域を挟むので乗り場から少し離れた。 仮跨線橋も工事区域を跨いで設けられたので、反対の乗り場に向かう分には元の跨線橋より遠回り。 跨線橋上の点字ブロックは外側に寄…

向洋の歩道橋二つ目

向洋駅と海田市駅近くの区間は「広島市東部地区連続立体交差事業」によって線路が高架化される。工事の途中経過でさまざまな姿を見せることになる。 kanototori.hatenablog.jp 平成22年に加わった北口改札も現在は別の位置に機能を移している。 今年新たに開…

安芸中野駅自由通路

今年の3月末にできた安芸中野駅自由通路。 可部駅のと似た規模の歩道橋で、橋上駅舎ではないので改札口は降りた先の駅舎に回り込む。 改札内にもホームに渡るための歩道橋があるので、瀬野川向かいから広島方面に乗る人は上ったり下りたりで慌ただしい。

踏切なき後

可部駅西口から改札へ行くために踏切を渡る必要があったのが、あき亀山駅への電化延伸に伴い自由通路の歩道橋が整備された、。 西口から線路の向かいを見ると。広告看板5枚分のスペースを使って階段と矢印の図を並べている。歩道橋への誘導の一文「一番のり…

可部駅旧状

可部駅の平成20年・21年頃の様子。西口のバスターミナルが整備されて間もない時期で、乗り場はまだ東口寄りのホームが現役で、西口から改札には踏切を渡らないと通れない。 1番と2番乗り場が広島方面行きのホームで、西に向いて待つ3番乗り場はかつての三…

南北の乗り場から

天神川駅は南北の乗り場が離れているので、駅入口付近に「広島方面行き」など表示して方向間違いを防ぐ。 kanototori.hatenablog.jp 二つの乗り場の間には貨物ターミナル駅の端にあたる線路があり、乗り場で待つ間にも目の前を車両が行き来する。ときに大き…

乗り場の端の下

西条駅の東の跨線橋はホームも跨いでいる。 跨線橋よりも東に飛び出ている形のホームには喫煙所があった(写真は2013年)。 そのホーム端部の下に線路を横切る作業用通路が一筋。突き当たりの建物に「見よ」の注意表示。

跨線橋から見た西条駅

西条駅の東の端に跨線橋があり、歩行者も自動車も細い橋の上を行き来する。 フェンス越しに見える西条駅の乗り場は長い屋根がホームと階段を覆う。 駅側から見るとこうなる。 kanototori.hatenablog.jp 真ん中のホームでは広島から来る利用者を迎え、南口側…

南口に降りる前

kanototori.hatenablog.jp 西条駅改札は橋上駅舎の2階。 南口と北口に通じる自由通路の真ん中にある。 南口に降りるエレベーターの手前に「バス乗り場案内」の大きな案内図がある。バス乗り場の案内より大きい。空港へのリムジンバスに乗る人に北口の乗り場…

西条駅前バス乗り場(令和4年)

kanototori.hatenablog.jpkanototori.hatenablog.jp過去に西条駅前のバス乗り場の案内を載せたのは平成21年(記事は23年)と平成28年。 28年に見かけた「東広島バス案内」は改訂されながら現在も駅舎を降りてすぐのところに立っている。 バス乗り場の6年近く…

赤と青のルート(西条)

https://www.city.higashihiroshima.lg.jp/soshiki/chiikishinko/1/1_1/21617.html 西条中心部の公共施設やスーパーを巡る循環バスも赤ルートと青ルートの二種。 海田町の循環バスと違い、赤と青でほとんど経由地は変わらず「外回り」と「内回り」で分けてあ…

赤と青のルート

海田町のふれあいバスは一昨年の年末に時刻表が改定されている。 そのことを駅前のバス停にはり出してあるのを見かけた。 「12月1日からの新ルート及び時刻です」とルート図と時刻表で赤ルートと青ルートの見分けやすい図をみせている。

海田市駅南口

kanototori.hatenablog.jp 芸備線も山陽本線も、駅の近くの通りは人通りが多くて殺伐としていない「ふれあい」を望ましく思うもので、中野東にも「ふれあい通り」があったりする。 海田市駅南口には、海田町の循環バス「ふれあいバス」の乗り場がある。ロー…

駅前の通りの愛称

国道や主要地方道のような長い道に付く愛称もあれば、駅前の短い道にも通りの名が付けられる。 後者の有名なところは可部駅前の「噂通り」だが、たいていの駅前にあるのは「駅前通り」のままで年を重ねる。 吉田口駅前で平成20年に見かけたのは「吉田口ふれ…

吉田邑南線(吉田瑞穂線)

国道54号を分かれて吉田邑南線を西へ、郵便局ありゆめタウンあり博物館あり、さらに先に宮崎神社や吉川元春館跡(見てない)へ。 kanototori.hatenablog.jp その道は「陰陽神楽街道」の愛称がある。平成28年時点でピカピカの標識があった。、

小早川と吉川の取り違え

「毛利元就公御廟所之覚」(『高田郡史資料編』所収)は明和四年に萩から遣わされた小川嘉右衛門による吉田への道筋の記録。 「吉田ニテ屋鋪」とまとめられた元就家臣たちの屋敷跡のなかで、「吉川殿御屋敷十日市ノ後大河ノ端」とあるのは小早川の間違いのよ…

吉田村の中の町

吉田村の「国郡志御用ニ付下調書出帳」に「駅所」の項目を設けて「吉田町分」にあたる地域を載せている。 「本通り町筋 東西六丁余」が本往還筋で、三次方面から橋本町・十日市街・胡街・鯨田街の順。 「脇町七筋」に六日市街や三日市街が含まれ、「小路 十…

吉田の市の位置

巡見使が可部町屋村の次に泊まったのが「吉田十日市村」。 吉田郡山城下の町は、山麓の三日市・六日市と川沿いの十日市が「巡礼堂縄手」「祇園縄手」などの街路によって結びついて広がっていった。 川と山が近すぎないので国道54号は街の真ん中を通り抜けら…

高田郡を通る巡見使

永井弥六『安芸高田郡郷土史こぼればなし』渓水社.昭和59 https://id.ndl.go.jp/bib/000001834772 に「巡見使通行入用」という項があり、天保9年の巡見使を迎えるにあたっての高田郡での諸経費の記録が収められている。 高田郡内では上入江村で休息と吉田町…

農村の見せ方

巡見使の通行する予定の村々に対して、心得として「拝見罷出候儀決而不相成事」と物見高く出てこないようにと言いながらも、「農人体之者一円不相見候而も如何敷ニ付」「少々之間遠之所江者一ヶ村之内ニ而三ヶ所程ニ五六人位ひ差出置可申」との指示もある。…

福王寺の麓

天保の幕府巡見使は可部町から北へ高田郡吉田へ向かい、山県郡を経て本地から再び可部を通った。 九品寺村・南原村を通る石州街道には一里塚があり、近くの分かれ道から福王寺に通じる。 巡見使との想定問答に「綾ヶ谷村福王寺さされ石若御覧被申仰候ハハ」…

他の郡のこと

その『高宮郡へ来た幕府巡見使』(下野岩太.昭和51年)は、可部の木坂文書(南原屋)に残された、天保9年の幕府巡見使を迎えるにあたっての諸控を紹介、書き写した本のこと。 村々の組頭が巡見使のお尋ねにどう答えるかを定めた問答集の部分は、可部という地…

資料に残る故人の関心

廿日市町史 資料編 2 (近世 上) https://id.ndl.go.jp/bib/000001230655 は、廿日市町時代の範囲の近世村ごとに関係文書を排列した資料集で、検地帳や地詰帳、国郡志御用につき下調べ書出帳などの史料から近世の村勢を探る手がかりとなる。 村ごとの史料の前…

上平良村の絵図のある本

『芸藩通志』の佐伯郡四に載る祠廟のページは送信サービスでは閲覧できないけれど、村絵図がある巻四十九と五十は見られる。 けれど狭い谷の多い村の地名はとくに字が小さく掠れて読みにくい。上平良村の場合所々下平良村の飛び地が「下ヘラ村分」と書き込ま…

『藝藩通志』巻五十三 佐伯郡四

前項のように、国立国会図書館「個人向けデジタル化資料送信サービス」によって手軽に『芸藩通志』を参照できるようになっている。 送信サービス可能なのは明治40年から刊行された『芸備叢書』の版で、戦後の刊行になる「芸藩通志刊行会」版(昭和38年)・「…

かじけ

『いしうちの地名をさぐる』は昭和57年に五日市民話民俗の会発行の五日市町域の地名語彙集。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能(http://id.ndl.go.jp/bib/000001577231)だが、広島市の図書館でももちろん現物は借りられる。 中組の架かるのは石…

梶毛川と石内川

石内川のさらに上流、昔からの石内の中心部あたりで梶毛川が合流する。 梶毛川の合流点のそばには「落合橋」があり、石内川には「尾長橋」がある。 付近には擬木の欄干と石柱の親柱が続き、親水護岸一帯の景観が殺風景にならずにいる。 近くの史跡の案内を親…

口和田の鳴谷

下沖バス停の少し上流側に「鳴谷橋」がある。 芸藩通志に「犬牙のごとし」と形容される口和田村は隣村との飛び地が入り組んだ細長い区域。わずかに山林もあり、絵図に「鳴谷山」と書かれていて石内村と山田村の山林に挟まれている。