環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

明王院山門「中道山」扁額

なにやらタイトルの下がスカスカだと思ったら、カレンダーを置くスペースだったのだな、と合点した。


さて、
福山市明王院真言宗大覚寺派で、山号は中道山・寺号は円光寺。
県指定の重要文化財の山門に掲げられた額は「前法務大僧正了恕(東寺の一長者)」の書。
「法務」という役職についてはこちらwikipedia:法務 (仏教)

「不老山」長生寺

竹原市の町並み保存地区の南側、不老山春秋院長生寺真言宗醍醐派
若くして亡くなった河野通直の菩提を弔うために小早川隆景の建てた禅宗の寺に始まる。
石段の下から見上げると鐘楼門が聳えていて、真新しい「不老山」の額。


門をくぐって振り返ると鐘が見え、「揺天」の額も見える。

お寺の掲示板

その鐘楼門の先にすぐ本堂が見えるが、その手前には灯籠と幟が左右に並んでいる。
赤と青の幟はどちらも「南無千手観世音菩薩」の奉納幟で、下端に願主の名前が書いてある。
境内の掲示板を見ると「奉納のぼり随時受付」とあったり。

神社の掲示板

西区田方の草津八幡宮は、曲折した長い石段の先にある。
麓に設置されている掲示板に「一八九の石段」と紹介されていて、

この石段は最下段より境内三の鳥居まで一八九段あります。
一八九は飛躍(更なる発展) 避厄(災厄をさける)
に通ずる石段と古くより伝えられております。

とある。上りが「飛躍」で下りが「避厄」かもしれない。
その左には「今月のことば」と題し、論語の一節「君子之徳風也、小人之徳草也」をのせている*1
小人の行う徳の無い政治は、民草を靡かすことをせず、ただ切り刻むばかりであると。

*1:たしか去年の10月

町内会の掲示板

同じく参道入口付近にある町内会の掲示板。
たぶん、どの地域の町内会も似たようなものかもしれないが、
一つの施設の掲示板と違って、神社の行事も寺院の行事のお知らせが同居して雑然としている。
そのほかには地震の際の協力を求める文言、健康増進のための集会所の行事など。
おそらく常に掲示されているのは「町内の街灯は町内会費で維持されています」という呼びかけ。

掲示板(似島の場合)

南区の似島の集落内にて。
掲示板とその隣の看板を共におさめようとして中途半端な写真になってしまい、
使いどころに困りそうなので今載せてしまおう、の巻。
見かけたのが昨年の7月ということで、お寺で催される原爆忌のお知らせがある。
その上の文書は、「似島埋立地の廃止について」と題した平成18年の通知。それまで島内で発生した瓦礫や土砂などを埋め立てていたのを、18年度いっぱいで終了するというもの。

掲示板に転用

中区吉島新町の県営住宅は老朽化したので建替えることに。
昨年の8月ごろに見た限りでは、
役目を終えた住宅案内図の上に、ポイ捨て禁止や交通安全のポスターが貼られていて、
特定の地区に限らない、不特定多数に向けた掲示板と化していた。

夏の重ね貼り

同じ頃、川向こうの舟入南町で目にした掲示板は、
二枚のチラシを一部重ねてはってある。
重なっている角の部分は画鋲を節約できる、という意味かどうかは知らないが。
当然、内容の新しいのが上ということで、
上にあるのがラジオ体操の告知で、下になっているのがガソリンの取り扱いについて。


「灯油用ポリ容器にガソリンを入れた場合の火災危険性に関する実験映像」というのがこちらに。

かさねがさねかえすがえす

重ねて貼るときというのは、当然隠れても構わないから貼るもので。
上下の掲示物の内容が同趣旨であればなおのこと。
例えば放送局の駐輪場。

何日間かのイベント*1の期間は、社員駐輪場としては使えませんという臨時のお知らせ。


広島市公文書館入口にて、期間を限った企画展の看板の上に重ねてあるのは、

期間内の特定の日に行われる講演会の案内。
土・日・祝日は普通開館していないところを、文化の日*2に講演会があるということで特別に開けてある、とお知らせする意味もある。
とはいっても、展示してある古いパンフレットなどを複写してもらおうとすると、本日は業務はお休みです、などと断られたりもする。
かえすがえすも、どうでも良いことを根に持つものである。

*1:フードフェスタ

*2:この年は土曜日

秋の歩行者天国

google:”広島フードフェスタ” 一致する日本語のページ 約 257 件
google:”ひろしまフードフェスタ” 一致する日本語のページ 約 73 件

    • うち、”ひろしまフードフェスタティバル”2件含む

google:”広島フードフェスティバル” 一致する日本語のページ 約 731 件*1


一応公式表記は
google:”ひろしまフードフェスティバル” 一致する日本語のページ 約 2,910 件


以前は「広島城秋祭り」と「フードフェスタ」の二つのイベントだったことの名残があるのかも。
本丸と二の丸と堀の周囲を中心に*2したイベントで、
期間中は広島城の東方丁字路一帯を自動車通行止めに。

*1:たぶん、以前触れた「天守と遊覧船」も含まれる

*2:その他、隣接する中央公園や地下街も

城南通りと平和大通り

春は大型連休で、夏と秋は祭りで、冬は駅伝で、それぞれ交通規制が敷かれる。

都道府県対抗男子駅伝のスタートとゴールのある平和大通り

堀の南を東西に伸びる城南通りは終盤のコース。

平和大橋の欄干

駅伝の観戦のために沿道が賑わう。
ただ、「橋の上では立ち止まらないで通行して下さい」と注意されるように、
コース上の数多い橋の上ではこのような看板が置かれる。
特に平和大橋は欄干が低いので、

というふうに歩道の新設が予定される。

小屋浦橋と側道橋

歩車分離。例えば安芸郡坂町の小屋浦橋。

天地川に架かる橋で、広島と呉を結ぶ国道31号が通る。

親柱がちょっと無惨だが、それはさておき脇には青い塗装の側道橋。
車道の橋をいつ架けたのかは見ていないけれども、
それより新しいであろう側道橋は「昭和64年1月」。

小屋浦(こやうら)

坂町小屋浦案内図

安芸郡坂町「小屋浦一丁目〜四丁目」の住所表示は平成11年2月1日から実施された。坂町に大字は設定されていないので、「小屋浦」は小字として存在した。
町の北部に「坂浦」とその付浦「横浜浦」があり、中央に聳える天狗岩が南の「小屋浦」を隔てる。
「浦」とは、「近世では海岸に面した地域で、漁業権、網場などの権利、石高が定められ、村と同格に扱われた行政単位としての村も存在した。*1」というもの。この三つの「浦」はまとめて「坂村」という行政村に含まれるが、別々に組頭が置かれ、石高は坂・横浜で772石余、小屋浦で69石余*2といったふうに分けて集計される。

町の中心を流れるのが「天地*3川」。川を遡ると天狗岩の東の「天地峠」に至る。峠を越えると「総頭*4川」が坂浦方面に流れる。呉線が海岸沿いに通るまでは、この峠道が主な経路だった。

*1:角川日本地名大辞典34広島県

*2:寛永15年

*3:てんち

*4:そうず

大屋(おおや)・天応(てんのう)


小屋浦の南、天狗城山の山塊を越えると呉市天応。
延長3.65kmの「大屋川(大屋大川)」の流域に広がる海岸の町。

昭和26年までは「大屋村」で、「天応町」になった後昭和31年に呉市に編入される。
南に隣接する「吉浦町」は既に昭和3年呉市に編入されており、

呉軍港は國難突破と共にふとつて行く。
昭和八年九月一日現在の人口はすでに二十萬六百四十二人(戸數四萬一千五百六十九)と云ふ驚異的レコードを示すに至り、全國第十位の大都會として、
さらに呉航空隊、廣(航空機製作)工廠の所在地である接續廣村 及
呉沿線の別莊地帶大屋村(海水浴場)
無線電信所と海軍水源地を有する昭和村
の隣接三町村をも漸次合併せんとする第二次、第三次の計畫もすゝめられつゝあり、
 
郷土史研究会『復刻再版 呉軍港案内』1933を1999に復刻

と、拡大する予定だったらしい*1
「天応」の町名は村内南部の小字名に由来*2し、明治36年*3呉線の天応駅が置かれたことにより村名以上の知名度をもつようになる。

*1:そのうち「廣」は昭和16年に合併

*2:天王社が語源

*3:1906年

天応山

天応の町の中心部と天応駅(天応塩谷町)を隔てる天応山。
駅を出て直ぐにあるトンネルと、広島呉道路(クレアライン)が通過していて、切通しには陸橋が渡されている。
フェンス越しに見える銘板に「天應山陸橋」と。

天狗城・天狗崎の麓

上は天応山から北を見たところ。
頂上付近の岩肌が特徴的な「天狗城山」。その西を広島呉道路が通り過ぎ、海に延びる「天狗崎山」などを分断する。

JR呉線とそれに並行する国道31号に沿って進むと、大屋川をこえたあと、セーラー万年筆の工場の背後に聳える姿が見える。

さらに北へ進むと、天狗崎山の麓に呉ポートピア駅埋立地には市民公園呉ポートピアパーク
公園の入口付近に「天狗城山*1登山案内板」がある。

登山ルートとして示されているのは、天狗城山とそれに連なる「中天狗」「小松尾山」「二艘木」などの呉市と坂町の境界を成す山々。さらに遠く安芸区矢野の絵下山も描かれる。
二艘木から下る道は、呉市焼山の「深山の滝」*2を通り、県道66号に合流する。

*1:「てんぐんじょうやま」と振り仮名

*2:藝藩通志』には「姫摺瀧」とある

田中八幡神社玉垣

ふだん、なるべく記事中に企業名など入れないようにしとるわけですが、
たまに言及すると、初めて見るようなリンク元が出てきたりする。

そのサイトのように、多彩な実用的なデータの中にブログ記事を混ぜているのはともかく、
中には自動でかき集めたブログ記事を並べただけでお役立ちサイトぶっている所もあるので、
リンク元を辿ったときに非常にがっかりさせられる。
はてなキーワード」の場合は前者の場合も後者の場合もあるのでしょう、たぶん。


セーラー万年筆の天応工場ができたのが昭和14年*1。まだ呉市ではないとき。*2
大屋大川近くの田中八幡神社の創建は文亀2年*3
石鳥居の左右に並ぶ玉垣の、
向って左角には「芸備造船工業株式会社」、右角には「セーラー万年筆株式会社」。

棒引きの位置が独特な、ロゴマークどおりの文字が縦書きで見られる。

田中八幡神社の藤の木

社殿の裏手、境内社の稲荷のそばに白い説明板がある。天応町が呉市になってから十年後の設置。

呉市指定文化財 天然記念物 田中八幡神社のふじの木
幹回り目通り二m、高さ一五m、枝張り東南北二〇m。ふじの木としては稀に見る老樹である。
芸藩通志によれば田中八幡神社は文亀二年(一五〇二年)に勧請されているが、ふじの木は神社建立以前からあったと伝えられている。
樹令約四百年
昭和四十一年十月一日
呉市教育委員会

蔓がうじゃうじゃと絡まって高く広く伸びている。

藝藩通志』「巻三十九 安藝國安藝郡四 祠廟」に「八幡宮 大屋村本郷にあり、文龜二年壬戌、勸請といふ」とある。

これらの樹が五百年以上古いか、またはこの樹よりも前から藤の木が茂っていたということになるか。

田中八幡神社の社叢

フジノキが天然記念物に指定されたのは昭和40年10月1日。
クロガネモチ・アベマキ・モッコク・クスノキなど、境内の社叢全体が指定されたのは昭和42年10月1日のこと。
もともと海岸に近い土地であったのでモッコク*1が多い。ここから海側には「濱崎新開」が開発された。
呉市指定文化財を解説する「田中八幡神社のフジノキ・社叢」の説明板が、「田中八幡神社略記」と共に境内入口付近に立っている。縦書き・ペンキ塗から横書き・ステンレスへ。

吉浦八幡神社の社叢


同じく呉市指定天然記念物の社叢があるのが、
天応の南隣、吉浦の町の中心近くにある八幡神社
その立地は西から伸びる丘陵の先端で、古く海に面していた南と東斜面は急斜面が広いので崩壊対策がなされている。

アラカシ、クロガネモチ、シイ、ナナメノキ、モッコクなどの大木が茂っているのは北斜面、石段の脇。説明板があるのも石段の途中。

特に石段近くには、小規模ながらシイ林の極相(長期間安定した状態)が見られます。全体的に樹種が多く、古木や大木が多いところが特色です。


石で整備

その石段の端に石柱が並んでいて、それぞれに「金壹百圓 ○○」という寄附者の名が刻まれている。
石柱の背に手すりがわたしてあり、ところどころ縄でくくられている。

昭和15年*18月設置の石板に「皇紀二千六百年記念 参道張石階段改築當時の總代」として27人の名が刻まれている。総代長が右端に、続いて世話人が四人、残りの人はいろは順で。


麓の石鳥居や標柱、山上の記念植樹などもこの時に加わった物。
山上の拝殿前にある石鳥居は文政10年*2の物。

*1:1940年

*2:1827年

鳥居の前

麓の大きな鳥居。
脇の玉垣は明治百年記念の物。そこに見える注意は「車庫前につき駐車禁止」。

白と黒の自転車の置いてある間を覗くと「お願い」があり「参拝の邪魔になりますので鳥居の前に駐車しないで下さい」という文。「駐輪」ではない。

掲示板にはってあるのも同じ内容・筆跡で、「魔」の崩しや「鳥」の点の動きが特徴。

トンネルの駐禁

吉浦駅の次の川原石駅は階段の上の小さな駅。
駅の下を通過する車道も小振りなトンネルで、「けたに注意」の表示が。

さらに大きめの文字で「トンネル内は駐車禁止です」との注意。やはり駅のそばだからそういう例が多かったんだろうか、車一台が塞いだらえらく難儀しそうな狭さ。

廿日市町

廿日市市地御前駅とその周辺は「放置自転車整理区域」となっていて、「廿日市町」のころからの古びた看板も「交通の障害になりますのでこの附近に自転車を放置しないで下さい。」とある。
地御前駅」は大正14年に始まる。その時は「地御前村」。
昭和31年、廿日市町とその周辺の「平良*1」「宮内*2」「原*3」「地御前*4」4ヶ村と合併して廿日市町が拡大した。市制施行が昭和63年なので、『角川日本地名大辞典34広島県』の時点*5ではまだ廿日市町。

*1:へら

*2:みやうち

*3:はら

*4:じごぜん

*5:昭和62年発行

南町踏切

広島電鉄宮島線地御前駅そばの踏切は「南町踏切」。北に進むと公民館やJAが立地する旧街道沿い。
山陽本線の「宮内串戸駅」と宮島線の「宮内駅」は少し離れているが、宮島方面に進み「JA広島病院前駅」あたりで接近する。「地御前駅」をすぎて地御前神社近くでまた離れてからは、両者の間を国道2号が通っている。。

この踏み切りはJRと広電との共同踏切です。電車がきても列車がきても警報が鳴りますので鳴っている間は絶対に踏切に入らないで下さい。

接近しているとそういう幅広の踏切も見られるが、わずかに離れている所では2カ所の踏切が連続することになる。

地御前駅

大正14年7月15日に地御前駅が広島瓦斯電軌宮島線の終点として開業する。それまでは国鉄が村内を通過するのみだった。
同年に書かれた「地御前村基本調査」に、

同線は村の東口宮内川より鉄道と並行して走り南町に至る。是より同会社所属の自動車にて火立岩連絡船桟橋に至り、海路厳島に達す。

とあり、当時の運賃は己斐〜地御前間が27銭*1、地御前〜桟橋の自動車が9銭となっている。
桟橋へ向う国道0.7マイルは厳島観光の導入ともいえ、同じく「地御前村基本調査」に、

沿道には内海屈指の称ある地御前海水浴場をはじめとして、地御前神社 火立岩 相覧場 御上り場 運勝の鼻 等名勝史蹟多く、且つ一路平坦にして砥の如く、海に面する路側には漆喰にて美しき塗垣を作ってある。

と描写されている。
とはいえ自動車での移動は暫定的なもので、翌年には「新宮島駅」が開業して桟橋に接続することになる。
宮島駅についてはこちらのブログが詳しい様子。

やはり地元の人の書く記事だと安心感がある。こういう感じの、公民館単位くらいの範囲を扱うブログがあちこちにあればいい。

参考

廿日市町史資料編IV』廿日市町 1981

*1:現在の運賃が190円

地御前神社鳥居

神社の正面に立っている石の鳥居は明治三十二年に奉納された物。
拝殿との間には車道が通り、鳥居と海の間には宮島線と国道2号。フェンスに「線路横断危険」と注意が付いているので、フェンスの無い頃は気軽に渡っていた様子。
海側の扁額は「厳島外宮社」、陸地側は「地御前神社」となっている。


厳島神社」と「伊都岐島神社」が大鳥居の両面にあるのと同じような感じ。

外宮橋

地御前社 地御前村にあり、本殿神六座、客殿五座、祭る神、厳島に同じ、厳島外宮と稱す、社は山を負ひ、海に臨み、厳島と相去る三十六町にして、海を隔て相對す、此社、地かたに在るを以て、地御前と稱す、
藝藩通志』巻五十三

同書巻五十一の村里の項目には「ぢのごぜん」と振り仮名があり、村の地勢を「山を負ひ、海に面す、谷々に田畝を敷き、各澗水あれど、水手乏しく、時に旱を患ふ」と記す。

地御前神社の南隣に流れているのは「有府川*1」で、赤い塗装の「外宮橋」が架かっている。読みは「げぐうばし」となっている。
地形図(電子国土)を見ると、

今はもう住宅団地になっている丘陵の、標高50m附近に池*2があり、そこから東へ1km弱の谷間を通って海にいたる。

*1:ありふがわ

*2:藝藩通志』の絵図に「木上山」「木上池」とある

地御前神社境内水準点

地形図*1を見ると、地御前神社の近くに水準点の記号(四角いの)があり、2.9mとなっている。
設置してあるのは拝殿の北側、境内社の恵美須や石碑が並んでいる空間の手前。
「大切にしましょう」という立て札の下にある四角いコンクリート。神社の境内ではおなじみ、かもしれない。

*1:前項参照

天王神社境内の水準点

同じく神社で見かける水準点。
安佐北区亀山の天王神社境内のものは四方に石のあるタイプ。
錆の目立つ立て札は、地御前のものより古いようで、「基準点を大切に 一等水準点 建設省国土地理院」とある。
標高は31.4mで、地形図ではここにあたる。