環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

「江戸時代の安芸高田」1 安藝國高田郡・郡山城

最初に正徳六年の『安藝國高田郡圖』が掛けられている。大きい。目録に「縦3.15m横3.99mの超大型」とある。
高田郡は現在の三次市広島市の一部も含む59ヶ村。地誌『藝藩通志』(文政八)作成のために書かれた「国郡志御用ニ付下調書出帳」がずらりと並べてある。かなり厚みのある村もある。
江戸時代、防長へ移った毛利氏は神社への寄進や毛利霊廟への代参などで資料を残す(「宮崎神社棟札」「毛利霊廟参拝人名簿」)。正徳六年、「徳山府主大江元次」が「毛利元就画像」を拝観した後表装を改めて返した。著名な「紙本著色毛利元就像(防府毛利報公会)」とは異なる、厳めしい画像。

参考:山口県文化財 http://bunkazai.ysn21.jp/