環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

昭和前期の厳島・広島

青空文庫」で「千畳閣」を検索すると、「宮本百合子 獄中への手紙 一九三七年(昭和十二年)」の一件がある。獄中の宮本顕治に宛てた絵葉書の中に、「安芸の宮島廻廊より千畳閣を望む絵はがき」*1とあり、三月に厳島を訪れた時に送っている。

ここは大変に明るい美しいところでびっくりしました。清盛という人物が只ものでなかったのがよくわかります。よい天気。お母さんと、砂と松の間をふらりふらりと歩いて、よい散歩です。あなたもここは御存じでしょう?

絵葉書ではない葉書の時は「エハガキが切れているのでこんなので御免なさい。」という断りもある。
この頃に見られる絵葉書を列挙すると以下のよう。

    • 男の人がスキーをしている写真の絵はがき
    • 西利雄筆「優駿出場」の絵はがき
    • 五色温泉の山の写真の絵はがき
    • 梅の花の写真の絵はがき
    • 佐伯祐三遺作「レ・ジュ・ド・ノエル」の絵はがき
    • 厳島紅葉公園と広島駅の絵はがき二枚
    • 浅野泉邸の絵はがき
    • 徳山・幸町通りの写真の絵はがき

二十四日の午後三時のふじで東京をたち、ひろしま午前五時四十分、島田九時前でした。ひろしまから柳井線に入ったら、海と対岸の景色が珍しくて、目が大きくなったようでした。

とあるので、「厳島紅葉公園と〜」と「浅野泉邸〜」は広島駅で買ったものだろうか。当時も今も広島の名所の筆頭は厳島であるらしい。並び立つものとしては浅野泉邸(縮景園)に替わって原爆ドームがその位置を占める。

原民喜 原爆被災時のノート」に、まず市中北辺の様子。

泉邸ノ竹藪ハ倒レタリ ソノ中ヲ進ミ川上ノ堤ニ至ル

饒津ノ樹ノ時折燃エントスルアリ

市街中心部の様子。

福屋モ内部ハスベテ焼ケタリ 電車ノ焼ケタアト マダ火ノ気ノ強キトコロナド国泰寺ノ楠モ倒レタリ 墓石モ散ズ 市役所辺ニハ人多シ 浅野図書館モ死体収容所ト貼出サレテアリ

西へ西へと進み、草津あたりで通常の景色に近づく。

草津アタリマデ来ルト 漸ク青田ノ目ニハイル トンボノ空ヲナガレル 人家ハ破損スレド既ニ惨タルモノハ薄ラグ 宮島線ノ電車ハスズナリ 海岸ニ厳島ヲ見ユ 夕刻八幡村ニ馬車入ル 看護婦来リテタダチニ火傷ノ手アテ

参考・引用

*1:底本は「宮本百合子全集 第十九巻」新日本出版社