環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

みよし物怪まつり点景・比熊山(ひぐまやま)

昨年の8月26日、麓の鳳源寺で「稲生物怪物語」の講談があり、夜には体感登山。翌日には三次市文化会館で新作神楽「比熊山」が奉納された。
中世末期、三吉氏が比叡尾山城*1から移って城を築く。もと「日隈山」と書いたのを「比叡尾山」から「比」をとり「熊」に改めたという。三吉氏退去の後、福島正則配下の尾関正勝はこの山の南「積山」(今の尾関山)を拠点とした。三吉氏の菩提寺高源寺も尾関山に移して西江寺と改めた。
福島氏退去の13年後、浅野長治を初代とする三次支藩が成立した。比熊山城の陣鐘は浄土宗三勝寺に、礎石と城門の唐折戸は真宗照林坊にそれぞれ寄進され、三次藩の政庁近くに大寺が移ってきた。
山麓の三吉氏館跡は臨済宗比熊山鳳源寺が建ち、浅野長治の墓やその娘瑶泉院*2の遺髪塔などがある。隣接して浅野長治の母寿正院の菩提寺妙栄寺、三吉氏時代からの大寺吉祥院が並ぶ。
享保五年*3三次藩広島藩に合併された。『稲生物怪物語』の舞台は寛延二年*4で、宝暦八年*5には家臣団が広島城下へ引き揚げた。

参考

*1:ひえびやま:馬洗川北岸

*2:阿久利姫

*3:1720年

*4:1749年

*5:1758年