昭和20年7月3日、呉市戦災対策連絡協議会で海軍による三角式応急住宅の建設を決めた。切妻屋根を直に据えて妻側の壁に出入り口を設けた形。妻側約5m・平側約6.4m。そのうち1440戸が呉市に譲渡された。
『呉の歴史』に載っている写真「空襲後の焼跡でめだつ三角兵舎と闇市(本通三丁目付近)」は、交叉点付近に青空市場の人だかりがあり、その周りに三角兵舎が立ち並んでいる。隣接して焼け残った通常の家屋もある。
昭和42年まで運行していた呉市電は本通を南下して三丁目(通称四ツ道路)で西に曲る。
昭和14年の市街地図*1を見ると、四ツ道路の周りには
などが並んでいた。道路の位置に合わせた書字方向となっている。東西の道路に面している場合はどれも縦書き。