環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

牛田(うした)

牛田山西麓を牛田という。というよりも牛田の後背にある山だから牛田山、という順序か。
そこには「牛田」を冠する住居表示が七つある。
北の不動院周辺を牛田新町といい、江戸時代は新山村という一つの村だったが、明治15年に牛田村と合併。「新町」の名は伊達じゃない。
京橋川の北岸が「牛田本町」。工兵橋牛田大橋・神田橋によって「白島(はくしま)」(2月7日分)と通じる市街地。
牛田山から伸びる稜線が神田山と見立山を連ね、新町と本町を分つ。そのうち南面する傾斜地を「牛田旭」と呼ぶ。浴びるのが朝日だけではないから僭称ならぬ謙称と呼んでもいい。だからこそよく使われるのだろう。
北の牛田山と南の二葉山によって三方を山に囲まれた丘陵地を「牛田早稲田」「牛田東」といい、旧牛田村の氏神の早稲田神社がある。境内で縄文・弥生時代の遺物が多数出土した。
牛田早稲田と牛田本町の間に「牛田中」がある。「白島中町」と似たような囲まれ方。「牛・田中」ではない。
南端の「牛田南」は二又川と二葉山に挟まれたところ。饒津神社の裏手になる。

参考