混雑時に順路に従わなかったら顰蹙者であるが、振り返るなら近い時代から見た方がとっつきやすい。故人も「現代から過去にさかのぼればこんな面白いものはない」*1と言っている*2。
150年ほどさかのぼれば江戸末期。山本夏彦の祖父は安政5年*3生まれ。34歳の頼三樹三郎が幽閉された年で、頼山陽が生きていれば79歳。広島藩主は浅野慶熾が亡くなって長訓が継いだ年にあたる。明治天皇はまだ8歳で、孝明天皇の御代。
広島市中区役所区政振興課発行の「広島城下大絵図」*4は江戸時代の広島城下の堀や川の位置、当時の町名などが記されている。内堀以外は埋め立てられているので、三の丸より外の名残は、各所に立っている石碑が目印。
残っていた本丸二の丸の建物も、泉邸も、頼家旧宅も、大本営跡も破壊されて、ただでさえ貴重な伝世品が激減した。
近年の発掘調査や地下開発で、武家屋敷跡や堀の跡が見つかったり、当時の生活用品が出土したりした。「広島城関連遺跡発掘調査地点一覧」のパネルには13ヶ所書かれている。
展示される金箔瓦や金貨を目にしての驚きもあれば、現代でも普通に使っているような什器を見て安堵することもある。
破壊されなきゃ有り難みが湧かないのかというと、まあそんなものかもしれない。
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