青空文庫*1で「神農」を検索すると内藤湖南の著書に多く目にする。加上説などに絡んで。
昔、支那には神農様というのがあって、百草の品々を嘗めて、薬を見つけて、人間の疾病を救ったものだが、道益様のなすところはそれと同じことだ。ただ草を嘗めるというが、この草を嘗めて良否を見分けるというのは、なかなか度胸がなけりゃできねえよ。
大菩薩峠 流転の巻 中里介山
神農像(google:image:神農)を見るとそれほどあらわに牛くんではないけれど*2、牧草をもりもり食べる挙動に神々しさを感じることもあるかも知れない。
なんにせよ、天照大神、神農帝以来、人間が選りに選り出して来た今日の五穀蔬菜というものは、人間の養いには最上無類のものさ。野草雑草も食って食えないことはないが、食わずに済めば食わずに済ますことだよ。
大菩薩峠 椰子林の巻 中里介山
医薬の神として、家々や廟堂で祀られる。
その神様の種類からいえば、先ず店の間の天照皇太神宮を初めとし、不動明王、戸隠神社、天満宮、戎、大黒、金比羅、三宝荒神、神農様、弁財天、布袋、稲荷様等、八百万の神々たちが存在された。朝夕に燈明と、水と、小豆と、洗米を供えてまわるのが私の役目とされていた。
大切な雰囲気 小出楢重
菅茶山等の編した福山志料第十二巻神農廟の条にかう云ふ記事がある。「福山の町医馬屋原玄益なるもの、享保廿一年神農の像を彫刻し、封内の医師五十人と相はかり再建し侍り。」これが医師馬屋原氏の書籍に記載せられた始である。
伊沢蘭軒 森鴎外
医院
陶標春をつめたくて、 水松(いちゐ)も青く冴えそめぬ。
水うら濁る島の苔、 萱屋に玻璃のあえかなる。
瓶をたもちてうなゐらの、 みたりためらひ入りくるや。
神農像に饌(け)ささぐと、 学士はつみぬ蕗の薹。
文語詩稿 一百篇 宮沢賢治
有名無名様々の掛軸もある。
二間の床の間に探幽の神農様と、松と竹の三幅対
笑う唖女 夢野久作
誰の筆とも知らず、薬草を銜えた神農様の画像の一軸、これを床の間の正面に掛けて、
湯女の魂 泉鏡花