環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

四拾貫(しじっかん)

備後国三次郡四拾貫村はもと畠敷*1村の一部で江戸時代初頭に分村したと伝えられる。
40貫というのが銭の貫目のことか力石の重さのことだかは知らないけれど、
広島県の地名』*2の「四十貫村」の項に「享保七年写の三次郡覚書(広島大学蔵)には「羅貫村」とあり、」とある表記の変化の方が面白く、「羅」の崩し字と「四拾」の崩し字が似ているということか。「羅貫(漢)」が先だったらなお面白い。
電柱を見ると「シジツカン」とあるべきところに「シジキカン」。「ツ」が「キ」に似ちゃったのでしょう。
憶測ばかりだ。訂正があればどなたでも宜しく*3

*1:はたじき

*2:平凡社『日本歴史地名体系』

*3:今さらだが