環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

渝(重慶)

まずはWikipedia
wikipedia:重慶市wikipedia:嘉陵江
南宋の頃に名付けられた重慶よりもさらに遡って、隋の頃の州名が「渝州」。
李白の「峨眉山月歌」に登場。

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。
夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。
峨眉山月歌 - Wikisource

北から市街に流れてくるのが嘉陵江(渝水)。太田川になぞらえるにはちょっと規模が違いすぎる、けど、長江が瀬戸内海だと思えば。
「渝水」の語を時代を遡ってみると晋の時代。『華陽国志』に、

漢の高帝秦を滅ぼして漢王と為り、巴・蜀に王たり。(中略)ロウ*1中に渝水有り、ソウ*2民多く水の左右に居る。天性勁勇、初め漢の前鋒と為り、陣を陥るれば鋭気喜舞す。帝、之を善して曰く、「此れ武王紂を伐つの歌なり」と。乃ち楽人をして之を習学せしむ。今の所謂巴渝舞なり。
華陽国志 (中国古典新書続編)

と、隼人舞に神話を絡めるのと似たように伝承がくっつく。左思の『三都賦』にも、

若乃剛悍生其方,風謠尚其武。奮之則賨*3旅,翫之則渝舞。銳氣剽於中葉,蹻容世於樂府。
蜀都賦 - Wikisource

「渝舞」とある。

*1:門構えに良

*2:上に「宗」下に「貝」

*3:ソウ。上に同じ